乾漆造 (Kanshitsuzo)
乾漆造(かんしつぞう)とは、東洋における彫像制作の技法の1つで、麻布を漆で張り重ねたり、漆と木粉を練り合わせたものを盛り上げて像を形づくる方法である。
概要
乾漆造の源流は中国にあり、中国では「夾紵」(きょうちょ)あるいは「ソク(土扁に「塞」)」と呼ばれた技法である。
彫像のみならず器物や棺などの製作にも用いられた。
日本では7世紀末から8世紀にかけて仏像の制作に多用されたが、平安時代以降は衰退した。
乾漆造には麻布を1センチほどの厚みに貼り重ねて形成する「脱活乾漆造」と、これを簡略化した技法と思われる「木心乾漆造」がある。
脱活乾漆造
制作方法を簡単に説明すると次のとおりである。
まず、木製の芯木で像の骨組みをつくり、その上に粘土(塑土)を盛り上げて像の概形をつくる。
この上に麻布を麦漆で貼り重ねて像の形をつくる。
麦漆とは漆に麦粉(メリケン粉のようなもの)を混ぜてペースト状にしたもので、接着力が強い。
麻布の大きさ、貼り重ねる厚さなどは像によって異なるが、おおむね1センチほどの厚さにする。
こうしてできた張り子の像の上に抹香漆(まっこううるし)または木屑漆(こくそうるし)を盛り上げて細部を形づくる。
抹香漆とは、麦漆にスギ、マツなどの葉の粉末を混ぜたものであり、木屑漆とは麦漆におがくず(ヒノキ材をのこぎりで曳いた際のくず)や紡績くずなどを混ぜたものである。
奈良時代には抹香漆、平安時代以降は木屑漆が主に使われた。
なお、像の形が完成した後は、背面などの目立たない部分を切開して中味の塑土を掻き出し、補強と型崩れ防止のために内部に木枠を組む。
この技法による像は、東大寺法華堂(三月堂)、興福寺、唐招提寺などに現存し、日本彫刻史上著名な作品が多く含まれる。
しかし、高価な漆を大量に用いるうえ、制作にも手間がかかるため、平安時代以降はほとんどつくられなくなった。
奈良・当麻寺(たいまでら)金堂の四天王立像は、破損甚大ながら、日本における脱活乾漆像の最古例と見なされる。
木心乾漆造
像の概形を木彫でつくり、この上に麻布を貼り、抹香漆または木屑漆を盛り上げて完成させる像である。
脱活乾漆像が中空の像であるのに対し、木心乾漆像の像内には木心が残ったままであり、麻布もさほど厚くは貼らない。
平安時代前期の仏像の中には、木彫り像の一部に木心乾漆技法を併用して表情、装身具などの細部を形づくっている例も多く、「木造」か「木心乾漆造」か、機械的に分けるのが困難な場合もある。
代表的な乾漆仏
脱活乾漆造
東大寺法華堂(三月堂)不空羂索観音立像、梵天・帝釈天立像、四天王立像、金剛力士・密迹力士立像
唐招提寺金堂 本尊盧舎那仏坐像
唐招提寺 鑑真和上坐像
当麻寺 四天王立像
興福寺 八部衆立像(阿修羅像含む)
興福寺 十大弟子立像
葛井寺(大阪) 千手観音坐像
木心乾漆造
唐招提寺金堂 千手観音立像、薬師如来立像
聖林寺(奈良) 十一面観音立像
観音寺(京都) 十一面観音立像
興福寺北円堂 四天王立像
木彫に木心乾漆技法併用
東寺講堂 五大菩薩像
観心寺(大阪) 如意輪観音坐像
神護寺 五大虚空蔵菩薩坐像