地車 (Danjiri (decorative portable shrine, float used in festivals))
地車(だんじり・だんぢり)は、神社の祭で用いられる山車・だんじりの一種。
大小2つに分かれた独特の破風屋根を持つ曳き山で、彫刻の装飾が施されている。
近畿地方の和泉国・河内国・摂津国地域などの祭礼で見られる。
特に大阪府岸和田市の岸和田だんじり祭が全国的に名高い。
他のだんじり同様、平仮名で表記されることも多く、地車は当て字であると考えられている。
なお、平仮名表記ではだんぢりとされることもある。
地車祭り
地車と呼ばれる山車を曳く祭り、地車囃子の演奏を奉納する祭礼の総称である。
奈良県・大阪府・兵庫県東部を中心に関西地方の各地で、夏・秋に行われる。
とくに毎年9月に行われる、大阪府岸和田市の岸和田だんじり祭が有名。
だんじり祭・岸和田だんじり祭を参照。
歴史
豊臣秀吉による大坂城築城の際、地車囃子が「テーマソング」になったとされている。
もちろん、築城も古墳造営と同じく大規模な土木工事なので、修羅が用いられている。
地車、および囃子が摂津国、すでにその周辺地域に定着していたとしてもよかろう(築城は畿内以外でもなされているので、この考えに矛盾点もある)。
朝日放送のテレビ番組である歴史街道『』においては、「豊臣秀吉が摂州だんじり囃子を気に入った」と放送されている。
さらに、3代征夷大将軍の徳川家光時代の寛永年間に地車の宮入が大阪天満宮で始まったという記録がある。
織豊時代の囃子が継承されていたと考えられる。
このような説に従えば、ヨーロッパのクラシック音楽(バロック音楽)と呼ばれているものよりも、僅差ではあるが古いということになる。
もっとも、ヨーロッパの場合、楽譜というものが存在したが、日本の前近代の音楽には、楽譜が存在しない。
いずれにせよ、地車、および囃子は、織豊政権時代に完成していたといえる。
地車の型
地車の型は大きく「下地車(下だんじり)」「上地車(上だんじり)」の2つに大別できる。
「下」「上」とはだんじりの重心が「下」にあるか、「上」にあるかという意味である。
また、岸和田旧市の北町が泉大津より地車を購入し曳き方に合わせ改良を重ねた物が現在の下地車と呼ばれる物である。
この事から南へ下った所でそれまでと違う形のだんじりが出来たそれを下地車と呼び対して従来の形のものを上地車と呼ぶようになったと言う説もある。
一般に「だんじり」といえば、泉州地域(旧和泉国。大阪府南西部)の岸和田市のだんじりが全国的に名高い。
しかし、河内地域(旧河内国。大阪府東部・南東部)、摂津地域(旧摂津国。大阪府北部、兵庫県南東部)にもだんじりを保有しているところが数多く存在する。
泉州地域では、地車の装飾や、曳行自体が重要視されている。
それに対して、河内地域では、それらだけにとどまらず、地車囃子や曳き唄なども重要視されている。
また、摂津地域では、大阪市南部・大阪市東部・神戸市・阪神間あたりの場合、地車の装飾、曳行、地車囃子が重要視されている。
下地車(下だんじり)
岸和田型とも呼ばれる。
大阪府の泉州地域(大阪府南部の海沿いの地域)の地車にこの形が多い。
上地車と比べると大きく重いが、重心が低くやりまわし時の安定度は高い。
新調には1億円以上要する。
後部にやりまわしや方向転換に使用する後梃子があり、大屋根に鳥衾と呼ばれる3本の角がついている。
上地車にも鳥衾がついていることがある。
上地車(かみダンジリ)
大阪府泉州地域以外はほとんどがこの上地車である。
上地車は、地域によりその形態に特徴があり、住吉型(大佐だんじり)・堺型・大阪型・石川型(仁輪加だんじり)・北河内型・大和型・神戸型・尼崎型・舟型・社殿型・宝塚型というように多種多様な型が存在する。
重量は比較的軽く、上り坂でも進むことができる。
下地車にある前梃子は無く、周りを「担い棒」と呼ばれる木の梁で囲っているのが特徴。
この担い棒があるため、「連合曳き」と呼ばれるパレードの際に、地車を担ぎ上げて「ウィリー」させることができる。
これを「差し上げ」と言い、これは上地車を使う、南部大阪のほとんどの地域で行われている。
そのほか、横に揺らす「横しゃくり」や、梃子の原理を用いて「地車(ダンジリ)」を前後に揺らす「縦しゃくり」を行ったり、前後に走らせたりする。
これらの曲芸的な技は南河内、堺市の一部などで行われている。
とくに南河内で主に使われている「石川型地車」は、重心が高い独特の形態をしているため、これらの技をやりやすいとされている。
ほかにも近年では差し上げの状態からさらに後輪の片方を持ち上げ「一輪立ち」などを行う地区もある。
これらの方法でだんじりを曳き回して演技を披露することを「しこり」又は「でんでん」、「追うた、追うた(おうた、おうた)」などと言う。
ただし、上記の行為を行うと地車の彫刻の破損、地車本体の損傷、人身事故等が起きるのでこの行為は一部の地域以外では行われていない。
また、同じ南大阪でも、河内長野市や大阪狭山市の一部では、交差点などで地車の後輪を浮かせ、そのままの状態で地車を左右に勢いよく回す「ぶん回し」という高速回転が見物となっている。
また、ぶん回しを行う地区の多くは住吉型(大佐だんじり)や堺型地車を使用している。
とくに堺市の外縁部に位置し、古来から堺とのつながりが深い地域に多い。
泉大津地方では、互いのだんじりをぶつけ合う「かちあい」が名物となっている。
兵庫県尼崎市南部では、だんじりの前輪を上げ、互いの担い棒(片棒)を乗せあい勝負を決める「山合わせ」が見物となっている。
また、ほとんどが屋根の上には獅子噛(しがみ)と呼ばれる獅子と鬼を足した様な顔をした彫り物がつけられている。
また、堺型といわれるものは上記の種類に含まれる。
地域によっては、地車に発電機をのせて大きな電力を確保し、派手なネオンや照明を装備することもある。
地車囃子
地車囃子(だんじりばやし)には摂河泉三地域それぞれの味があり、様々に評価される。
泉州地域では太鼓・鉦・笛などを用いる。
河内地域では大太鼓・小太鼓・鉦などを用いる。
曳き唄のマイクも用いる(南河内地域に限る)。
摂津地域では、親太鼓・雄鉦・雌鉦・子太鼓などを用いる。
大阪市北部には、大塩平八郎の乱で焼かれたか、アジア太平洋戦争における米軍の空襲によって焼かれたか、修理費を捻出できなかったか、などの理由によって山車の存在しない地区があり、演奏しか重要視できうるものがない。
このように地車と認めづらい地区が存在するのだが、これらの地区にあたる(北)長柄・南長柄等では地車囃子を独立した音楽ととらえている。
平野地域、十三地域や東大阪地域などの一部には、長柄・南長柄地区の派手な演奏を取り入れている講が少なくはない。
地車踊り
摂津地域(大阪市内のみ)、河内地域の一部にみられるものである。
流派について
「ヒガシ」の流派を天満流、「キタ」の流派を長柄流という呼び方が昨今では一般的である。
実際、踊り以外でも、演奏にもかなりの違いあることは、各地車のホームページ等でも紹介されている。
なかには、前者を主流派、後者を非主流派とする見方も存在するが、これはあまり支持できない。
両派ともに、それぞれの伝統を守っている点を高く評価しておきたい。
ともに大阪市北区(長柄は旧大淀区)なのに、このような呼び方がまかり通っているのは、天満が大阪天満宮を指し、天満宮境内で演奏している講が、今福・蒲生地区(大阪市城東区)の人たちを中心に構成されていることに由来している。
よって、大阪天満宮からみて今福・蒲生が東に位置しており同神社で奉納されているので「ヒガシ」が天満流、天満宮からみて長柄が北に位置するので「キタ」が長柄流と呼ばれてきたらしい。
ヒガシの龍踊り
「ヒガシ」地域は、龍踊りと呼ばれている。
これが踊りの代名詞的なものになっているのは、大阪天満宮の天神祭(日本三大祭の一つ)のときに境内で奉納されているので、マスコミに露出する頻度が高く、こうして広まったからであろう。
キタの地車踊り
「キタ」地域は、普通に「地車踊り」といい、踊る際に手を突くことで、運をつくというゲンかつぎが基本型である。
これを狸踊りと呼ぶのは、何かの勘違いから発生したものと考えられる。
龍踊りが格段の扱いをうける以前の、1970年の日本万国博覧会の前夜祭には、長柄流の地車踊りがMBS系(毎日放送)で放映された。
地車の歌
香川県の地車では土地ごとに違う「口説き」を歌いながら右へ、左へ肩を組む。
そして、飛びながらまわり八~十番くらいある口説きを社の前で歌い上げる。
香川の地車はを参照。
地車の手打ち
手
河内地域・摂津地域の地車にかかわる人間は、地車を曳いているときや、囃子を奉納しているときに、祝儀をいただくなどすると、必ず手を打つ。
関東では三本締め、プロ野球界では一丁締め(一本締めとは言わないらしい)などが流行しているが、地車では「大阪手打ち」をおこなう。
これは一説によると、大阪市中央区の「生玉サン」、すなわち生國魂神社が広めたものとされている。
手締めと手打ち
手打ちに関して、昨今ではマスコミや芸人らによって、「大阪締め」という造語が定着されつつある。
大坂は商人の町なので、江戸のような武士中心の町ではない。
したがって、処刑を意味する「手打ち」という語を忌避したとは考えられ難い。
やはり、そのままで手打ちとするのが妥当であろう。
商談成立も手打ちである。
また、芸人は文化の伝承を無視する傾向が強く「平気で三本締めをやる東京本社の吉本興業など無知な会社に所属する」などと批判される。
手打ちの種類
手打ちを標榜している地車のほとんどは、「『打ーちましょ』ドンドン、『も一つせ』ドンドン、『祝ぉて三度』ドドンがドン、」とする。
地車同士が陸(おか)や船ですれ違うときには、「『打ちまーひょ』ドンドン、『も一つせぇい』ドンドン、『よーいとさ』ドンすっトントン」とする。
このように、一般向けと、地車用の手打ちが存在する。
一方で、マスコミや芸人は、「『打ーちましょう(『打ちまーひょ』とせず、最初を伸ばす) または『締ーめましょ』ドンドン、『も一つせぇい』ドンドン、『祝ぉて三度』ドドンがドン」としているようだが、こちらは地車の手打ちとは別物として扱うべきであろう。
上方落語協会の定席・天満天神繁昌亭のこけら落としであった2006年9月15日、天満宮境内にて、地車講と噺家(落語家)とが手打ちをおこなった。
その際、噺家が「...(略)『祝ぉて三度』ドドンがドン」とやろうとしたのに対して、地車講は平然と「...(略)『よーいとさ』ドンすっトントン」と囃した。
やはり、芸人の「大阪締め」と、地車の「手打ち」とは別物であった。