壬生狂言 (Mibu Kyogen)
壬生狂言(みぶきょうげん)は、毎年節分と4月、10月に京都市 中京区の壬生寺(みぶでら)で演じられる無言劇である。
大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)のひとつ。
重要無形民俗文化財に指定されている。
概要
仮面をつけた演者が、鉦、太鼓、笛の囃子に合わせ、無言で演じる。
演目は全部で30ある。
演目には、勧善懲悪などの教訓を伝える話や平家物語、御伽草子に取材した話などがある。
煎餅を観客席に投げる(愛宕詣り)、紙でできた糸を観客席に投げる(土蜘蛛)、綱渡りをする(鵺)、素焼きの皿を割る(炮烙割り)といった派手な見せ場を持つ演目もある。
壬生狂言を伝承し演じるのは、壬生大念仏講中の人々である。
地元の小学生から長老まで約40人が壬生大念仏講中を構成し、学校通い、会社勤め、商いなどの本職のかたわらに練習をし、公演をしている。
公演は毎年3回である。
2月の節分前日と当日の2日間 節分会(せつぶんえ)
4月21日から4月29日までの9日間 大念仏会(だいねんぶつえ)
10月の体育の日までの3日間 秋の特別公開
歴史
鎌倉時代の1300年、融通念仏の円覚上人によって創始されたと伝えられている融通念仏の狂言。
メガホンのない時代に、仏教を群衆にわかりやすく説くために、大げさな身ぶり手ぶりで表現する無言劇の形態が採用されたという。
念仏狂言が無言劇化した理由については、本来、大衆が念仏をする前で行なわれたものであったために、台詞を発しても念仏の声にかき消されて伝わらないので無言になったとする説もある。
なお、同じ念仏狂言でも、引接寺 (京都市)のものは、台詞入りで行なわれている。
江戸時代になると、布教活動としての色彩が薄れ、大衆娯楽として発展した。
能や狂言、物語に取材し、新しい演目が考案された。
演目一覧
愛宕詣り(あたごまいり) ※ 但し、本来は壬生寺ではなく清凉寺の演目。
安達が原(あだちがはら)
大江山(おおえやま)
大原女(おはらめ)
桶取(おけとり)
- 壬生狂言における代表的演目、日本古劇中の傑作であるとされる。
左手が3本指の美女が地蔵尊に詣でて、閼伽(あか)の水をくむ。
これを見初めた老人(隠居とも大尽とも)が八方、手を尽くしてついには彼女を口説き落とす。
そこへ老人の妻である醜婦が来て、嫉妬する。
老人は妻を蹴倒して若い美女と逃げる。
醜婦は鏡を取って化粧してみるが、自分が醜いので自暴自棄に泣き崩れるというあら筋。
餓鬼角力(がきずもう)
蟹殿(かにどん)
熊坂(くまさか)
賽の河原(さいのかわら)
酒蔵金蔵(さけぐらかねぐら)
節分(せつぶん)
- 2月の節分会で上演される演目。
節分の鬼を豆によって退治する話。
大仏供養(だいぶつくよう)
大黒狩(だいこくがり)
玉藻前(たまものまえ)
土蜘蛛(つちぐも)
道成寺(どうじょうじ)
鵺(ぬえ)
橋弁慶(はしべんけい)
花折(はなおり)
花盗人(はなぬすびと)
舟弁慶(ふなべんけい)
炮烙割り(ほうらくわり)
- 4月の大念仏会の公演では、必ず最初に催される演目であり、2月の節分会の際に奉納された炮烙が、この演目の最後に割られる。
炮烙が割れると願い事が成就するとされている。
堀川御所(ほりかわごしょ)
本能寺(ほんのうじ)
棒振(ぼうふり)
紅葉狩(もみじがり)
山端とろろ(やまばなとろろ)
湯立(ゆたて)
夜討曽我(ようちそが)
羅生門(らしょうもん)