尺八 (Shakuhachi)

尺八(しゃくはち)は日本の伝統的な楽器。
木管楽器の一種である。
リード (楽器)しないエアリード楽器に分類される。
中国の唐を起源とし、日本に伝来したが、その後空白期間を経て、鎌倉時代から江戸時代ごろに現在のかたちの祖形が成立した。

尺八の名は、標準の管長が一尺八寸(約54.5cm)であることに由来する。
語源に関する有力な説は、『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、7世紀はじめの唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた立笛を作った際、中国の標準音の黄鐘(日本の十二律では壱越西洋音階のD)の音を出すものが一尺八寸であったためと伝えられている。
演奏者のあいだでは単に竹とも呼ばれる。
英語ではあるいは、とも呼ばれる。

マダケの根元を使い、7個の竹の節を含むようにして作るものが一般的である。
上部のマウスピース (楽器)歌口に息を吹きつけて音を出す。
一般的に音孔は前面に4つ、背面に1つある。

尺八に似た楽器として、西洋のフルートや南アメリカのケーナがある。
これらは、フィップル(ブロック)を持たないエアリード楽器である。

起源と雅楽尺八

尺八の起源として有力な説は、前述した『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、唐初期の貞観 (唐)年間(627年 - 649年)に呂才(600年 - 665年)が考案したというものである。

日本には雅楽楽器として、7世紀末から8世紀はじめに伝来した。
東大寺の正倉院には六孔三節の尺八が八管収められている。

その後中国では、歌口の傾斜が管の外側にあるタイプの縦笛は断絶し、日本でも雅楽の楽器としての尺八は使われなくなった。

一節切と薦僧の時代

歴史上の空白期間ののち、鎌倉時代になると一節切(ひとよぎり)と呼ばれる縦笛があらわれた。
これは、五孔一節で真竹の中間部を用いたものである。
田楽法師などの遊芸人の中にこれを吹いて物乞いをする集団が現れた。
薦僧と呼ばれる集団がそれで、後に普化宗と結びつき虚無僧となっていく。

一節切は、室町時代に中国から日本に渡った禅僧・蘆安がもたらしたもので、名手といわれた大森宗勲(1570年 - 1625年)が出たのち、急速に広まった。
一節切は17世紀後半に全盛を迎えたが、その後急速に衰退した。

普化尺八

江戸時代は尺八は法器として普化宗に属する虚無僧のみが演奏するものとされた。
建前上は一般の者は吹いてはならなかったが、実際には尺八をたしなむ者はいた。
明治時代以降には、普化宗が廃止されたことにより虚無僧以外の者も演奏するようになった。

音程の範囲と基本的な音階

基本的には2オクターブ強である。
用いられる頻度は少ないが、倍音を用いてその上の約1オクターブの音を出すことができる。

シンプルな運指においては、陽音階や律音階となる。
基本的な運指において、西洋の12音音階すべての演奏が可能である。

物理的構造

現行の尺八は、真竹の根元を使用して作る五孔三節のものである。

古くは一本の竹を切断せずに延管(のべかん)を作っていたが、現在では一本の竹を中間部で上下に切断してジョイントできるように加工したものが主流である。
これは製造時に中の構造をより細密に調整できるとの理由からだが、結果として持ち運びにも便利になった。

材質は真竹であるが、木製の木管尺八やプラスチックなどの合成樹脂でできた安価な尺八が開発され、おもに初心者の普及用などの用途で使用されている。

尺八の音色と材質は科学的には無関係とされているが、関係があるとする論争もあった。

尺八の歌口は、外側に向かって傾斜がついている。
現行の尺八には、歌口に、水牛の角・象牙・エボナイトなどの素材を埋め込んである。

明治時代以降の西洋音楽の影響により、七孔、九孔の尺八が開発された。
このうち、七孔のものは、五孔の尺八に比べれば主流ではないものの使用されている。
既存の五孔の尺八に孔を開けることでの改造が可能である。

現行の尺八の管の内部は、管の内側に残った節を削り取り、漆の地(じ)を塗り重ねることで管の内径を精密に調整する。
これにより音が大きくなり、正確な音程が得られる。

これに対し「古管」あるいは「地無し管」と呼ぶ古いタイプの尺八は、管の内側に節による突起を残し、漆地も塗らない。
正確な音程が得られないため、奏者が音程の補正をする必要がある。
古典的な本曲の吹奏では、このひとつひとつの尺八のもつ個性もその魅力となっている。

筒音

尺八の手孔をすべて塞いだときの音を筒音と呼ぶ。
これはその尺八で出すことのできる最低音である。
標準の尺八は、日本の十二律で壱越(D4)の筒音を持つ一尺八寸管である。
次いで、春の海などで使用される一尺六寸管(筒音 E4)や、二尺四寸管(筒音 A3)などが使用される。
長さのバリエーションは、半音ぶんずつ寸刻みで一尺一寸管から二尺四寸管も存在するが、標準的なものにくらべ使用頻度ははるかにすくない。

奏法

尺八はフルートと同じく、奏者が自らの口形(マウスピース (楽器)アンブシュア)によって吹き込む空気の束を調整しなければならない。
リコーダー(いわゆる「縦笛」)はマウスピース (楽器)の構造(フィップル、ブロック)によって初心者でも簡単に音が出せるが、尺八・フルートで音を出すには熟練が必要である。
尺八は音孔(指孔)が5個しか存在しないため、都節音階、7音音階や12半音を出すために手孔を半開したり、メリ、カリと呼ばれる技法を多用する。
唇と歌口の鋭角部(エッジ)との距離を変化させることで、音高(音程)を変化させる。
音高を下げることをメリ、上げることをカリと呼ぶ。
メリ、カリの範囲は開放管(指で手孔を押さえない)の状態に近いほど広くなり、メリでは最大で半音4個ぶん以上になる。
通常の演奏に用いる範囲はメリで2半音、カリで1半音程度)。
奏者の動作としては楽器と下顎(下唇よりやや下)との接点を支点にして顎を引く(沈める)と「メリ」になり、顎を浮かせると「カリ」になる。

メリ、カリ、つまり顎の上下動(縦ユリ)、あるいは首を横に振る動作(横ユリ)によって、一種のビブラートをかけることができる。
この動作をユリ(ユリ、あごユリ)と呼ぶ。
フルートなどの息の流量変化によるビブラートとは異なり、独特の艶を持つ奏法である。
フルートと同じく息の流量変化によるビブラートも使用される。
息ユリと呼ぶ。

手孔を、閉 - 半開 - 開 動作を滑らかに行い、さらに、メリ、カリを併用することにより、滑らかなポルタメントが可能である。
これをスリアゲ、スリサゲと呼ぶ。
音高の上下を細かく繰り返すコロコロというものもある。

口腔内の形状変化や流量変化等により、倍音構成はよく通る音色や丸く柔らかいものなど、適宜変化させることができる。

尺八の流派と吹奏人口

尺八の吹奏人口についての本格的な調査はされておらず、正確な人口は不明である。
推定では3万人程度といわれている

琴古流

琴古流は、江戸時代に初代黒沢琴古(1710年 - 1771年)によって創始された。
初代は俗名を幸八といい黒田藩の藩士であったが浪人となり、江戸へ出て一月寺、鈴法寺の吹合指南役となった。
尺八曲の整理を行い、全36曲の琴古流本曲を制定した。
黒沢琴古の名は3代で途絶えたが、琴古流はその後、吉田一調、荒木古童らにより隆盛を築いていく。

琴古流は大小いくつもの組織の総体であり琴古流として統一した組織をもつものではない。

都山流

都山流は明治期に初代中尾都山が創始した流派であり、普化宗とは直接のつながりを持たない。
宮城道雄と提携し、宮城作曲の尺八譜の公刊を独占したこと、評議員制の導入など中央集権的な組織作りを行ったことなど都山流は尺八界最大の組織となった。

上田流

上田流は、都山流を除名された上田芳童が1817年に創始した流派である。
上田は、五線譜、7孔尺八などを導入し、尺八の近代化につとめた。
また、長唄に多く手付けを行った。
五線譜の採用は途中で断念したものの、7孔尺八に関しては上田創案のものが現在でも使用されている。

現在は上田流尺八道と称している。

竹保流

竹保流は、酒井竹保が1817年に創始した流派である。
宗悦流の流れを汲み、譜にロツレチではなく、フホウエヤイを用いるフホウ譜を用いている。

楽曲

尺八で演奏される楽曲は多岐にわたっている。
尺八の楽曲分類で大きなウエイトを占めるのは、本曲と外曲という対概念である。
本曲は、「その楽器のみによる楽器本来の楽曲」を意味し、外曲は、「他種目の旋律をその楽器用に編曲した楽曲」を意味する。

本曲

もともとの本曲は、普化宗で吹禅に使われた曲を指していたが、1871年の普化宗廃止後は宗教音楽とは無縁な尺八のみの独奏曲や重奏曲も本曲と呼ばれるようになった。
これらの比較的新しい本曲と普化宗で吹奏された狭義の本曲を区別するため、後者を特に古典本曲と呼ぶことがある。

普化宗の本曲

江戸時代に虚無僧が吹いた本曲は、琴古流本曲をふくめ、150曲あまりが伝承されている。
これらは宗教音楽として成立し、作者、作曲年代ともに基本的に不詳である。
弘前の根笹派錦風流、浜松の普大寺の流れをくむ名古屋の西園流、京都の明暗寺の明暗真法流と明暗対山流、博多一朝軒、越後明暗寺、東北地方の布袋軒、松巖軒などの伝承である。

これらの本曲は、托鉢のため諸国を往来した虚無僧により伝播された。
全国の寺院で伝承される本曲には同名異曲が多くある。
『鈴慕』『三谷』『鶴の巣籠』などは本曲の代表的な曲名であるが、曲によっては10種類以上の旋律の異なるものが伝承されている。

宗教音楽としての本曲は、各地の本曲を収集した黒沢琴古の琴古流本曲、西園流を学び明治期に明暗対山流を興し、明暗教会の再興に尽力した樋口対山(1856年 - 1915年)の系統をはじめ、各地において明治維新後も伝承されたものが現代においても血脈を保っている。

琴古流本曲

琴古流本曲は、琴古流の始祖である初代黒沢琴古が日本各地の虚無僧寺に伝わる楽曲をまとめ、本曲として制定した36曲である。
吹合所の指南役であった初代琴古は、これらの曲の譜字のや習曲順の整理を行い、宗教音楽をはなれた琴古流の基礎を築いた。

都山流本曲

中尾都山らが作曲した現代曲、尺八独奏曲または尺八二重奏曲をさす。

三曲合奏

江戸時代の地歌では箏・三絃(三味線)・胡弓の合奏が行われた。
これが三曲合奏である。
明治維新以降、胡弓は尺八にとってかわられた。
江戸時代にも尺八と箏や三味線の合奏は行われていたと考えられるが、尺八が普化宗の手から離れ合奏が解禁となったのは普化宗廃止後のことである。
現在では通常は三曲合奏といえば尺八が入るものを指す。
古典的な三曲合奏では、尺八の手付けは三絃の手をベタ付けで尺八向けに編曲したものであった。

こうした三曲の一員としての尺八は、西洋音楽の影響を受けた明治新曲や、春の海で知られる宮城道雄などの新日本音楽を経て、現代邦楽と呼ばれるジャンルを形成するに至った。

三曲系の演奏者のあいだでは、古典的な地歌箏曲を古曲、宮城道雄などの明治期から戦前までの楽曲曲を新曲、それ以降の楽曲を現代曲と呼ぶこともある。

民謡尺八

多くの民謡の伴奏に尺八が使用される。
特に追分、馬子唄の伴奏には尺八が多用される。
江差追分では、尺八の伴奏が必須となっている。

現代音楽と尺八

1960年代から尺八はクラシック音楽の現代音楽で使用されるようになった。
1964年にニューヨーク・フィルハーモニックと尺八の横山勝也、薩摩琵琶の流れをくむ鶴田流の琵琶奏者鶴田錦史のために作曲された武満徹のノヴェンバー・ステップスは反響を呼んだ。

ポピュラー音楽と尺八

現在では、藤原道山、ZAN、遠音などのアーティストが活躍している。

製管
尺八を製作することを指して製管という。
尺八の製作者のことを製管師とよぶ。
専業の製管師のほかに、尺八奏者がみずから尺八を製作する場合もある。
製管師のなかには、特定の流派や師匠と結びついている者もいる。
アマチュアの尺八奏者のなかには、この製管を趣味とするものもいる。

[English Translation]