影武者 (映画) (Kagemusha (The Shadow Warrior) (movie))
『影武者』(かげむしゃ)は、1980年に公開された黒澤明監督の日本映画。
カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーに名を連ねた。
またこの作品から、助監督時代からの盟友であった本多猪四郎が演出補佐として(影武者では演出部チーフとしてクレジット)スタッフに加わるようになった。
黒澤作品では唯一、実在の戦国武将にまつわるエピソードを取り上げたスペクタクル巨編。
黒澤監督は次回作『乱 (映画)』の撮影準備(リハーサル)としてこの作品を作ったとも語っている。
あらすじ
小泥棒が戦国武将・武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇。
武田信玄が徳川家康の野田城 (三河国)攻めの際に死亡した事実を隠すため、弟・武田信廉らは信玄の影武者を立てる。
この男は盗みの罪で処刑されるところを信玄と瓜二つだったことから信廉に助けられていた。
当初は逃亡を企てた男も、一度対面した信玄の威容に圧倒され、影武者としての人生を受け入れる。
だが、一方、歴史の歯車は織田信長の台頭、武田家没落という運命に向かって大きく回り始めていた。
キャスト、スタッフを巡るトラブル
当初主演だった勝新太郎は撮影開始後に黒澤と衝突し、降板した。
直接の原因は、勝が自分の演技をビデオカメラで撮影し、役作りの参考にしようとしたことである。
これについて黒澤は「監督は二人いらない」との言葉を残した。
勝の降板により、『乱』の主演が内定していた仲代達矢が起用された。
仲代は独自の影武者像を作り上げた。
劇場公開の際に映画を観にきた勝は「(映画は)面白くなかった」とコメントした。
山城新伍が語った所によれば、当初は勝が武田信玄と影武者を、勝の実兄の若山富三郎が信玄の弟武田信廉役を演じる案があったという(実際の兄弟関係を逆転させた配役)。
だが、若山は勝と黒澤のトラブルを予期し、それに巻き込まれることを嫌って出演依頼を断ったため、実現には至らなかった。
音楽については『どん底 (1957年の映画)』から『赤ひげ』までコンビを組んできた佐藤勝が黒澤と対立して降板、武満徹の推薦で急遽池辺晋一郎が起用されることになった。
武満の映画音楽のアシスタントをしていた池辺は『どですかでん』にも関わっており、その後『乱』を除く全作品を手がけることになる。
なお、『乱』で音楽を手掛けた武満とも黒澤は激しく対立し、降板こそしなかったものの決別に至っている。
その他に、撮影の宮川一夫が体調不良により交代している。
出演者
ほとんどの出演者がオーディションで選ばれた。
油井昌由樹や隆大介、清水大敬(当時は「清水のぼる」名義)、阿藤海、島香裕など、無名の俳優、新人俳優から演技経験の全くない素人までが数々の重要な役で出演した。
電撃ネットワークの南部虎弾(出演者クレジットは南部虎太となっている)、柳葉敏郎、山田五郎(クレジットなし)といった面々が、全く無名だった若き日に雑兵や死体役などのエキストラとして出演している。
当時大学生だった鴻上尚史はオーディションに合格したが、当日の都合で参加できず、石田純一はオーディションに落とされたという。
外国版と国内版
外国版では、国内版の一部シーンが日本の歴史を知らない外国人には理解しにくいとの理由でカットされた(上杉謙信が、信玄の訃報を聞く場面など)。
だがそれだけではなく、公開時の淀川長治との雑誌対談で黒澤は「国内版は時間がなかったため編集が不十分、もっと切りたかったが、外国版は時間が許す限り再編集した。」という主旨の発言をしている。
ドキュメンタリー他
1979年11月2日に日本放送協会で放送された『NHK特集・黒澤明の世界』では「影武者」製作の舞台裏が伝えられた。
『全集黒澤明 第6巻』岩波書店に台本他が所収。