料亭 (Ryotei (Japanese-style restaurant))

料亭(りょうてい)とは、主に日本料理を出す高級飲食店である。
企業の接待、宴会や商談、要人や政治家の密談等に使われることが多い。
値段も店により異なり、店によっては紹介がないと利用できないところもある。

日本の文化の集大成の場でもあり、会席料理・食器和食器・数寄屋造り・日本庭園・美術品・家具・芸妓・邦楽などの正統派の日本文化を堪能できる。

今日では一般に、専任の板前を抱え、座敷があり芸妓を上げるような料理屋のことを指すことが多いが、芸妓衆のもてなしを主として、酒以外の料理は主に仕出しでまかなう。
この貸席型の業態(いわゆる待合茶屋)を料亭と呼称する場合もある。

概要

原則として、事前に予約して利用する。
料理は和食が中心で、個室で供される事が多い。
食事をしながら、酒類を飲み、歓談したり芸妓の芸を楽しんだりする。

代金は当日、現金で払う場合もあるが、後日、銀行振込等によって後払いすることが多い。

明確な基準がないために、現在では、料亭という言葉の高級感や響きの良さから、通常の日本料理店が自ら「料亭」と名乗る例が非常に多いが、それらは本来の料亭ではない。

ここで説明するのは、あくまでもいわゆる料理屋(割烹料亭)を指す。

判断する条件は、主に、
「芸妓衆を呼ぶことができる」
「近隣の待合茶屋などに仕出し料理を提供する」
「全国料理業生活衛生同業組合連合会に所属している」
「全国芽生会連合会に所属している」
「その土地の政財界に通じている」
「格式・威厳がある」
「長年にわたり、その地域に根を張り営んでいる」
「正統な料理、高いおもてなしができる」
などがある。

しかし、以上の条件を満たしていても、上記に記してある日本庭園等は、敷地の関係で存在しない場合も多い。
全国の料亭(料理屋)の数は、東京で60軒前後、京都でも2桁にとどまる。
地方ともなれば、各県内中にわずか数軒から数十軒ほどであり、全国合わせても数百軒ほどである(料理業組合、芽生会加盟店数)。

今までの料亭

近年まで料亭は誰もが気軽に入店し利用できるものではなかった。
いわゆる「一見さんお断り」である。

新規に利用する際にはすでに客として通用している者の紹介を通すか、料亭側の縁故等を経由してからではないと入店できなかった。

したがって利用客は、主に各地の政治家、強大な企業の経営者、名の通った財界人らごく一部に限られ、それらの面々が各種接待や会合を行ってきた。

現状と詳細、その他

今までは、料亭というと未知で閉ざされた空間とされてきたが、近年では全国的に開放されて、かつて縁のなかった庶民層の利用が増えてきている。
(一部では一見さんお断りもあるので注意が必要)その背景には、バブル崩壊や官官接待の激減があげられる。
以前までは、企業間の接待や政財界人の利用、官官接待が毎日のように行われてきたが、現在ではほとんど行われなくなったために、全国の料亭は一般に利用しやすい価格にしたり、スタイルを変えたり、様々なプランやイベントを行ったりし、顧客の誘致をしている。
また、近年では大規模な料亭では、結婚式・披露宴に力を注ぐ光景も全国的に見られる。

しかし、利用状況の激変、利用客の低下により、閉店してしまう料亭も多い。
その原因は、料亭側・利用客側双方にあるという見方もある。
まず、料亭側は、急激な時代の流れそのものに対応できなかった事と、気位(プライド)の高さからなかなか大衆化できないことが上げられる。
また、利用する客側も、急に利用しだしたために、使い方がわからなかったり、料理の内容や料亭の意味・意義が理解できていないことが上げることができる。

利用料金は、基本的には高価。
料理 + 飲み物 + 席料(または部屋代) + サービス料(または奉仕料)+税が基本で、芸妓衆を呼べばその代金が加算される。
それぞれ各代金は、店や地方によって異なる。
が、先にも述べたように利用しやすい料金形態になってきているので、すべて込みのプランやセットになった企画も多数ある。

高価・高級というのも料亭の主なイメージである。
主役の料理ひとつ取っても、選りすぐりの高級食材を多用し、座敷のつくり、しつらえ、調度品、行き届いたサービス、伝統芸能、その数々が、他の料理店や飲食店と違うところであり、高級の由来である。

例を挙げれば、建物や座敷は現代のテナント業者によるものではなく伝統的な数寄屋造りや日本建築からなる。
器は著名な窯や作者によるものを使用したりしている。
座敷の掛け軸や絵画、調度品などは日本でも屈指の作家の本物が置いてあることも珍しくはない。
このような調度品は季節や来店時の客の目的等に応じて架け替えられたりと配慮される。

料理は純日本料理だがその日に応じて野菜・魚・肉など最高のものが準備され数日前から支度がはじまり丹念に仕込まれて当日に出される。
予約が必要と言うのはこのためで、座敷や料理に時間が必要であるからである。

それらの素材の高さもさることながら料理に従事する者の料理における技術の高さも必要であり、最低でも10年の修行を経てようやく仕事が内外から認められるようになり、それ相当になるにはさらに期間が必要である。

また料亭は、日本料理を堪能したり、接待や会食の場に利用したり、芸妓衆の舞の鑑賞やお座敷遊びなどの通常の用途の他に、しばしば展示会や各種の催し物の会場にも使われる。

主な料亭

日本の三大料理屋は吉兆、新喜楽、金田中(かねたなか)といわれる。

(歴史、規模、出入りする顧客の種類、全国料理屋への影響力、知名度、格式、美術品の所有状況、建物、エピソード、などからこの三店が日本の主要とされる向きが強い)
美濃吉 - 京料理。
江戸時代中期(享保年間)に京都・三条大橋で創業した川魚料理店が発祥。
1950年に南禅寺そばの粟田口に移転。

辻留 - 茶懐石。
料理研究家として知られる故辻嘉一が二代目店主。
京都本店と東京店(赤坂)があるが、京都本店はお茶席等への出張料理専門。

招福楼 - 茶懐石、会席料理。
1868年(明治元年)に創業。
大都市から離れた場所(滋賀県東近江市八日市)にありながら、茶懐石の名店として広く知られ、京都や大阪などから足を運ぶ客も多い。

小松 - 旧海軍料亭。
鳥羽伏見の戦いに従軍した小松宮彰仁親王が酒の席上で当時の女将であった森悦子との腕相撲に負け、自分の名前を料亭に与えたことに始まる。
戦時中はトラック諸島にも支店を持ち山本五十六や東郷平八郎など海軍最高将官贔屓の店であった。
現在も横須賀きっての名料亭である。
あだ名は「バイン」

たん熊 - 京料理。
京都の高瀬川沿いで1928年(昭和3年)に創業。
創業者栗栖熊三郎の長男が継承した「たん熊北店」グループと、次男が継承した「たん熊南店」(たん熊本家)に分かれている。

なだ万 - 1830年(天保元年)に灘屋萬助が大阪で創業した料理屋が母体。
明治から大正時代には食品店なども展開した。
1974年(昭和49年)に大阪・今橋から東京・紀尾井町に移転し、ホテルニューオータニ庭園内の山茶花荘(さざんかそう)を本店とした。

玄冶店濱田家 - 1912年(大正元年)に日本橋人形町に料亭として開業。
2007年に発行されたミシュラン東京版において最高ランクである三ツ星を獲得した。

南地大和屋 - 芸者置屋を母体とするお茶屋として、1912年(明治45年)に開業。
能舞台を持つ料亭として知られたが、宗右衛門町の本店は2003年(平成15年)に閉店、現在はそごう内に大和屋として残る。
グループに「大和屋三玄」があるほか、暖簾分けとして「京大和(大和屋林泉)」がある。

星ヶ岡茶寮(現存しない) - もとは岩倉具視らの援助で東京・永田町に開業した料亭。
1921年(大正11年)に北大路魯山人が開設した美食倶楽部が、1925年(大正14年)にこの星ヶ岡茶寮を借り受けて会員制の料亭として営業したが、戦災で焼失した。
戦後は魯山人の手を離れ東京急行電鉄が中華料理店として営業したが間もなく閉店し、跡地は東京ヒルトンホテル(後にキャピトル東急ホテル)となった。

備考

料亭・待合茶屋・置屋の三業種を合わせて「三業」と呼び、これらの設置が許された地域を「三業地」と称する。

花柳界では、芸妓の代金(ご祝儀)を「花代」「玉代」「線香代」と称する。

全国料理業生活衛生同業組合連合会(以下、全料連)とは、全国の料亭・料理店が加盟する組合。
組合員は料理屋の主人や女将から構成される。
地域ごとの「料理業生活衛生同業組合」が存在し、全料連が全国組織である。
定期的に各地が担当になり、全国大会が行われ、全国から組合員が集結し、意見交換や親睦会など研修・勉強会が行われている。
普段は、各地方ごとの組合で会議や研修等を行っている。

全国芽生会連合会(ぜんこくめばえかいれんごうかい)とは、料理屋・料亭の若主人の会である。
通称:芽生(めばえ)会。
全料連の直属・直下の組織である。
全国37の地域に地区芽生会があり現在、会員数は約500。
その全国組織として全国芽生会がある。
全料連と同様、普段は各地でそれぞれ集まり、研修等を行っており、定期的に全国大会を開催し、研修や意見交換、親睦の場としている。

一見さんお断りの料亭であっても、クレジットカードの一部ゴールドカードやブラックカードのサービスデスクに予約を代行依頼することで、一見さんだけでも利用できるケースが多い。
この種のサービスでは、ダイナースクラブが特に有名。

[English Translation]