正座 (Seiza)
正座は
正しい姿勢で座ること、およびその座り方
膝を揃えて畳んだ座り方。
上座、正面の座席、正客が座る位置
本項では、1を記述し、膝を揃えて畳んだ座り方について詳述する。
正座(せいざ、元の用字は正坐)は、正しい姿勢で座ること、およびその座り方、特に膝を揃えて畳んだ座り方である。
部屋では履物を脱ぎ、畳に座る日本人の伝統的な生活文化の一形態である。
歴史
正座の歴史では、正座の座り方(後述)がいつ頃から始まったのか、という部分と、この座り方を「正座」とする概念がいつ頃発生したのか、について分けて考える必要がある。
正座とは、元々、神道での神、仏教で仏を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。
日常の座法は武士、女性、茶道などでも胡座(あぐら)、立膝、で座る事が普通であった。
江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。
また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。
入澤達吉「日本人の坐り方に就いて」(史学雑誌第31編第8号 1920年)では元禄~享保に広まったと推測されている。
それに対して、川本利恵、中村充一「正座の源流」(東京家政大学紀要第39号 1999年)では、この座り方そのものは「日本諸事要録」(1583年)の記載から、16世紀後半にはすでに下級武士や農民にまで浸透していたことを指摘している。
古代遺跡や奈良時代の仏像にも現代の正座と同じ座り方があることから、座り方そのものは江戸時代以前から一般的であったとも考えられる。
江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。
明治22年(1889年)に出版された辞書「言海」にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。
江戸時代以前の正座は日本画にも多く見ることが出来、現代では男座(おとこすわり)等の別名で呼ばれている事がある。
江戸時代以降の正座で痺れを切らしたときに自然と座る事が多い。
作法
正座をするためには、まず始めに床にひざまずき、臀部をかかとの上に載せ跪座(きざ)となる。
次に足を伸ばして、臀部の下にかかとがくるようにする。
手は控え目にひざの上かまたは腿の上におき、背中をまっすぐ伸ばす。
伝統的に、男性はわずかにひざを開け、女性はひざを閉じて座る。
いくつかの武道(剣道と居合道)においては、(急所を守るため)男性もひざを閉じて座る場合があり、また、ひざの距離は拳2つ分の幅とする場合もある。
新体道では体を開き開発するためにできるだけ足を開いて座る開放体正座という方法がある。
また、正座する際、足の親指はしびれを防ぐために時々重ねる場合がある。
昔は足の親指を重ねる場合、男性が左の親指が上、女性は右という決まりがあったものの、現在に於いては特にそういった決まりは無い。
ただし、居合道などの武道によっては、正座の状態から膝を立てる際に遅延が生じるといった理由で、親指は重ねないように指導をしている。
正座をするときの入り方とくずし方は、着ている着物によって流儀が異なり、それらは作法として体系化されている。
正座で座る場所は、畳の上以外にも、カーペットの上、あるいは板の間の上など場所は問われない。
それらの硬い床の上で正座するときは、座布団が敷かれる場合が多い。
あぐらをかいて座ることは作法として正しい座り方ではなく、くだけた座り方とされ、公式の場では不適当であるとされている。
しかしお年寄りなど正座が難しい場合は許容される場合が多い。
正座をすることは、いくつかの伝統的な日本の茶道、日本舞踊、武道など芸道では必須の作法である。
洋式家屋の一般となった現代では必ずしも必要ではないにもかかわらず、正座は日本人の伝統的な座り方として受け継がれている。
難点は、しびれが切れやすいことである。
膝に負担がかかるので、足腰に持病を持つ人にはつらい姿勢である。
沖縄
沖縄方言では、この座り方を「ひざまんちゅー」と呼び、これをウチナーヤマトグチ化して「ひざまづき」と言う。
中国
中国では、春秋戦国時代正座が正式な座り方だったことがある。
当時中国では股割れズボンを着用していた。
足を伸ばして座ったり、体育座りの姿勢で座ると陰部が隠せないため、正座をしたと考えられる。
その後股割れズボンを履かなくなったことや、椅子の普及で正座をすることはなくなった。
朝鮮半島
朝鮮半島では罪人の座法とされる。
その他
イースター島のモアイは裸で正座している。
身体への影響
正座は脚の血流を妨げることから、脚の発育に悪影響を及ぼし短足やO脚の原因になるとされることもあり、子供に正座をしないよう指導する人も一部にある。