海苔 (Nori)
海苔(のり)は、紅藻・緑藻・シアノバクテリア(藍藻)などを含む、食用とする藻類の総称。
また、それらの藻類を漉いて紙状に乾燥させた食品。
分類学的位置
(→海藻も参照のこと)
日本語の「ノリ」はもともと水中の岩石に苔類のように着生する藻類全般を表す語であったため、食用としない多くの種類の藻類にも、しばしば○○ノリ、~~ノリという名前が付いていることがある。
食用の海苔は、分類学的には以下のような互いに疎遠なグループに分けられる。
海藻。
真核生物ドメイン・植物界・紅色植物門・紅藻亜門・ウシケノリ綱・ウシケノリ目・ウシケノリ科・アマノリ属 (Porphyra) に属するグループ。
岩海苔(いのり)とも呼ばれ、板海苔に加工される、アサクサノリ、スサビノリ (P. yezoensis)、ウップルイノリ (P. pseudolinearis) など。
南ウェールズで食べられる(P. umbilcalis)もこの属である。
韓国海苔もこの属から作られる。
海藻。
真核生物ドメイン・植物界・緑色植物門・緑藻亜門・アオサ藻綱・アオサ目・アオサ科に属する、アオサやアオノリ
川産。
真核生物ドメイン・植物界・緑色植物門・緑藻亜門・トレボウクシア藻綱・カワノリ目に属し、静岡県、高知県、埼玉県などの山間の清流に産するカワノリ
川産。
真性細菌ドメイン・シアノバクテリア門・ネンジュモ綱・クロオコックス目・クロオコッカス科・スイゼンジノリ属に属するスイゼンジノリ
分類学的にはそれぞれ大きく離れているが、2と3は同じ緑藻に属し、いくらか近縁。
4は大きくかけ離れており、通常言う植物には含まれない。
分類群が異なるため生活環はそれぞれ異なるが、いずれも解明されている。
1と2は、解明された知見を利用して人為的にライフサイクルを制御し大量に種苗を作ることで、商業規模での養殖が可能となっている。
食品として
ここでは、主に前節の1のアマノリ属について述べる。
ウップルイノリ(岩海苔)とスサビノリは、寿司(海苔巻き、軍艦巻き)、おにぎり、磯辺餅、ふりかけ、ラーメンの具などに使われる。
一方で、フノリ(布海苔)やアオノリ(青海苔)は、前者同様、おにぎり、ふりかけの他に、お好み焼きのふりかけ、お吸い物などに使われる。
日本では極めてよく利用される食材である。
味を付けている海苔を「味付け海苔」と言う。
老舗である山本海苔店が開発した。
そのほか、海苔を細かく刻んだきざみ海苔や、海苔の佃煮(関東では桃屋の「江戸むらさき ごはんですよ!」、関西では磯じまん・ブンセンの「アラ!」などが代表的)などがある。
また、海苔にはたんぱく質、食物繊維、ビタミンなどが豊富に含まれており栄養に富んでいる。
なお、乾燥させた海苔は湿気に弱いので、乾燥剤を入れた密封容器に保存する。
歴史
古くは紫菜(むらさきのり・あまのり)・小凝菜(いぎす・テングサ)・鹿角菜(ヒジキ)などをのりと称した。
とくにヒジキなどは、粘りを利用し、紙と紙を接着する接着剤としても使用された。
糊をのりというのは、奈良時代に於いて紙を貼り合わせる物が海苔だったことに由来すると考えられる。
古くは『常陸国風土記』(713年)に登場しており、ヤマトタケルに関して次のような記述が見られる。
「古老の曰(い)へらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸(いでま)して 乗浜(のりのはま)に行き至りましき。
時に浜浦(はま)の上に多(さは)に海苔{俗(くにひと)、乃理と云ふ}を乾せりき。」
同じく『出雲国風土記』(733年)においても、「紫菜(むらさきのり)は、楯縫(たてぬひ)の郡(こほり)、尤(もと)も優(まさ)れり。」という記述がある。
なお、楯縫郡は現在の出雲市の内で、2005年合併前の平田市にほぼ相当し、そこには海苔を特産品とする十六島 (出雲市)がある。
和銅3年(710年)に遷都された平城京には、海草類を売る「にぎめだな」、海苔やコンブを佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場が存在した。
大宝 (日本)2年(702年)2月6日に執行された大宝律令においても、海苔が租税として徴収されている(ここから2月6日が海苔の日となっている)。
こうして海苔は日本の食文化に定着し、987年頃に書かれた『宇津保物語』には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場している。
板海苔の誕生
江戸時代になると養殖技術が確立し、東京湾で採れた海苔(紫菜)を和紙の製紙技術を用いて紙状に加工するようになり、現在市販されている板海苔が完成する(これに対して乾燥させない海苔は生海苔と呼ばれる)。
なお江戸の海苔の代表とされる浅草海苔に関しては諸説あるが、岡村金太郎著『浅草海苔』(1909年)においては、遅くとも長禄年間(1457~1459年)頃まで遡らせる説が提示されている。
海苔が使われている食品には『磯辺』と表現され、また産地には『磯辺』、『石部』、『磯部』、『石辺』(何れも『いそべ』と読む)などの地名を見ることが出来る。
養殖方法
海苔の養殖は江戸時代には始まっていたことが確認される。
江戸時代後期には大森(現在の東京都大田区大森)の海苔養殖技術が諏訪海苔商人を介して全国に伝わった。
海苔の生態が判らなかったため経験則を頼りとしており、その不安定な生産高から「運草」とも呼ばれていた。
しかし昭和24年(1949年)にイギリスのドリュー女史(Dr. Kathleen Mary Drew Baker 1901年-1957年9月14日)が海苔の糸状体を発見し、それまで不明であった海苔のライフサイクルが解明され、不確実な天然採苗に代わる人工採苗を実用化し、養殖が可能な地域の拡大にも繋がった。
秋、海水温度が約20℃の時、河口近くの海にノリヒビを設置する。
(ノリヒビとは、養殖ノリを付着し、成長させる道具。昔は木や竹ヒビが使われた。現在は網ヒビが主流。)
ノリヒビに、胞子が付着し、発芽・成長してノリになる。
そして、葉状に成長したノリを冬に収穫する。
世界の海苔
海苔は日本のほか、中国、大韓民国、イギリス、ニュージーランドで養殖もされている。
一時はアメリカ合衆国でも養殖されていたようである。
イギリス品種であるLaverは、イギリスのウェールズ南部地方で古くから食用にされている。
Laverを茹でてペースト状にしたものがenLaverbreadと呼ばれる物で、そのままパンに塗ったり、油で揚げるなどして食べられている。
Laverbreadは日本で言う「珍味」の類であり、同じウェールズでも北部山岳地方ではその存在を知らない人も多く、現地でも決してポピュラーな食べ物ではない。
海苔の大消費地である日本は輸入枠を割り当て制にしており、従来は韓国にのみに輸入枠が割り当てられていた。
しかし、2003年に中国から輸入枠の割り当て申請があり、自国の輸入枠減少を恐れた韓国が日本の海苔市場の自由化を要求、2004年、最終的に世界貿易機関へ協定違反として提訴している。
日本における水産物輸入枠割当制度は他国にない制度であり、WTOの紛争処理小委員会(パネル)が「クロ」と裁定する可能性は高かった。
もし海苔で敗訴すれば他の水産物輸入枠割当制への影響は必至と見られただろう。
従って、日本は韓国への海苔輸入枠割当を大幅に増やすことで妥協を図った結果、韓国は2006年1月に提訴を取り下げた。
韓国からの海苔の輸入枠は2015年までに順次増えてゆき、最終的には2004年の5倍、市場占有率にして7倍までに拡大されることになった。
しかしながら世界的なすしブームや国内需要の増勢の結果、近年の対日輸出実績は割り当て枠を下回る状態となっている。
朝鮮半島における海苔については韓国海苔を参照。
中国では1990年代ころから養殖が始まり、江蘇省や山東省が主な産地となっている。
味付け海苔、スナック菓子、コンビニエンスストアのおにぎり等に利用されており、海苔の生産量、消費量ともに増加してきている。
しかし輸入枠の割り当ては行われているものの、値段や品質などの問題もあり、日本へはほとんど輸出されていない一方で、「スシ」などの日本食ブームの影響もあり、日本以外の世界各国へ輸出されている。
このため2005年から始まった対日輸出は現在実質的に停止状態にある。
日本の海苔産地
海苔の主な産地は宮城県、千葉県、愛知県、兵庫県の播磨灘沿岸、香川県の島嶼部(小豆島、直島など)、そして福岡県、佐賀県、熊本県の有明海沿岸が主産地となっている。
中でも有明海沿岸の三県で生産量の40%強を占める一大産地となっており、贈答向けの高級品も多く生産されている。
また、この有明海沿岸は諫早湾干拓問題で大きく揺れた地域であり、事業開始直後は水質の汚濁などによって海苔の生産量や品質に大きく影響を与え、とりわけ長崎県の産地は壊滅的打撃を受けた。
他に中四国の岡山県、広島県、徳島県などでも海苔養殖が行われている。
雑学
日本国外では板海苔を見てカーボン紙を連想する人も多く、また「歯の裏にくっつく」、「紙を食べているよう」と嫌がることがある。
この理由により、海外の巻き寿司は米が外側で海苔が内側にあることが多い。
「海苔」はラテン語圏でも「Nori」で通じる。
「Laver」は板海苔にはせず、また、イギリス以外では余り通用していない言葉である。
海苔のつるつるしているほうが表、そうでない方が裏だといわれている。
実際は板海苔に加工する際に板側の方が平らになる為であり、裏表は無い。