町屋 (商家) (Machiya (Merchant House))
町屋(まちや)とは、町の中にある庶民の住宅のことである。
町家(ちょうか)ともいう。
特に江戸時代から昭和のはじめ頃までに形成された、商家(しょうか、商いの場や仕事の場を兼ねた商人や職人の家)の街並みをさす。
また、町屋が集まった集落を商家町という。
町屋は宿場町にもあったが、特に城下町でこれが形成されることが多く、武家屋敷と対比をなしていた。
概説
町家は、小道や横町に面して軒を連ねて建てられた。
関西の城下町では早くから町屋が建てられてこれが広く普及していた。
その中でも京都や金沢などの大城下町では特に奥行が深く、極端な短冊の敷地に建てられた町屋は「うなぎの寝床」などと呼ばれることもあった。
実際にはその長い敷地に部屋が次々と一列に近いかたちで奥まで続いていた。
歴史
中世、近世には妻側の建物であることが多かった。
中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい〉)を備え、袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる。
厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られた。
大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた。
明治以降は、現在の家屋ほどの天井高の2階をもつ住宅が表通りでも建てられるようになり、三階建の町屋や看板建築も現れた。
今日町屋が残る多くの都市では、日本人の生活の知恵と空間の理念が凝縮されたようなこの町屋の再評価の動きが顕著である。
特に近年では老朽化した町屋を取り壊さずに修復・改装して、自宅や宿泊施設として再利用するケースが増えている。
構造
長屋との大きな違いはその規模にある。
入口を入るとすぐに土間で、そこにせいぜい2部屋がついた長屋とは違い、町屋の間口は2間から3間ほどであったものの、奥行は町屋の普及が関西よりやや低調だった江戸でも20間ぐらいは普通にあったといわれる。
表から奥まで「通し土間」という土間を通し、一方に部屋をほぼ一列に並べた間取りが標準的であった。
敷地の中央に中庭(坪庭〈つぼにわ〉)を置くことで、通気性と採光を口上させた。
一方で、そこに石や植物などを配した庭をつくり、通りに面した「公」の空間と奥の「私」の空間を巧みに区分けすることにも成功している。