的屋 (Tekiya)
的屋(てきや)とは、祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内、参道や門前町において屋台や露天で出店して食品や玩具等を売る小売商を指す。
または、射幸心を伴う遊技(ゲーム)として射的やくじ引などを提供する街商(がいしょう)。
または、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)である。
概要
呼称
職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。
的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。
一般には馴染みが薄いと思われるが近年までは、よく使われた通り名であり、的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書では、同じ説明がなされている場合が多い。
祭礼や寺社との関わり
上記の「祭礼(祭り)や市や縁日などが催される、境内、参道や門前町」を庭場という。(以下庭場と記述)
その庭場において御利益品や縁起物を売を打つ(売る)商売人である。
商売人といっても、祭礼時などは町鳶、町大工などの冠婚葬祭の互助活動と同じで、いわゆる寺社普請と呼ばれる相互扶助の一環でもあり、支払われるお金も代金ではなく祝儀不祝儀であるともいえる。
同時に寺社などとの取り交わしによって、縁起物を売る時は神の依り代になるともいえる。
的屋は「露天商及び行商人」の一種であり、伝統的な文化を地域と共有している存在である。
しかし的屋は価格に見合った品質の商品を提供するというよりも、祭りの非日常(ハレとケ)を演出し、それを附加価値として商売にしている性格が強い。
的屋はいわゆる現在の路上などで行う素人や時代的背景のないパフォーマーとは異なる。
路上において人間を集めるための演芸は、パフォーマー(演歌師・壮士)とは区別されるべきである。
観客においても祭りというハレとケの場の非日常的な雰囲気を感じるか感じないかの違いがある。
様々な成り立ち
日本は古来から様々な職業において「組」と言う徒弟制度や雇用関係があり、的屋も噛み砕いて表現すれば、親分子分(親方子方・兄弟分・兄弟弟子)の関係を基盤とする企業や互助団体、その構成する人々でもある。
的屋は零細資本の小売商または彼らに雇用されているプロレタリアートの団体というイメージがあるが、これに該当しない地域密着型や個人経営や兼業の的屋も多い。
地勢的・歴史的・人的・資本的要素が複雑に絡み合っていることから、単に的屋として一括りに定義することは難しいが、的屋の源流とされるもは以下の五つものに分類される。
猿楽
- 奇術・手品・曲芸・軽業・祈祷・占いなどを大道芸として行いながら,旅回りをしていた。
香具師が漢方由来の薬を扱っていたように、猿楽も中華文明を起源とするものも多いが、太刀まわりや一人相撲など日本古来の芸も数多く存在する。
蓮の葉商い
- 時節や年中行事に必要な縁起物である木の実や葉っぱや野菜、魚(地域によっては普段は禁じられていた獣肉など)などのいわゆる、季節物・消え物(きえもの)を市や縁日で販売していた。
郊外においては、蓮の葉商いのそのまま形で、地域に根ざした人々が、祭りなどで先祖代々に渡り、季節の縁起物を販売している。
具体的には、農家でありながら、縁日や市の立つ日や祭り時には、福飴や餅などを製造し販売していて、それが何代にも継承されている事があげられる。
香具師
- 芸や見世物を用いて客寄せをし、薬や香の製造販売・歯の医療行為をする者。
野士・野師・弥四とも表記し、すべて「やし」と読む。
野武士が困窮して薬売りに身を投じたという説や弥四郎という者が薬の行商の祖と言われる事など諸説ある。
鳶職や植木職
- 都市部においては、天下普請の施行により、鳶職や植木職などの建設に係わる者が、町場の相互関係の中で特別な義務と権限(町火消しなど)を持つようになり、特定の縁起物(熊手、朝顔)や売り上げが確実に見込める物(正月のお飾り)の販売を独占する傾向にあり、現在でもその不文律が継承されている。
弓矢(まとや)
- 弓矢を使った射的遊技場を営むものであるが、「吹き矢」を使った回転版を的とする射的や「ぶん回し」と呼ばれるルーレットも江戸時代から存在していた。
これら射的やくじ引きなどの懸け物(景品交換の賭け事)を生業にする者。
社会的文化的認知
小沢昭一などの文化人は的屋の啖呵を“昭和の風物”として文献や音源に残している。
映画「男はつらいよ」の主人公の「フーテンの寅こと車寅次郎」の生業として知られる。
歴史
「寺社などの神託」とは具体的には寺社普請といい、現在でも残っているが、特に明治以前の人々の暮らしは政(まつりごとが自治権として地域で認められていた)の中心として寺や神社があり、定期的な修繕や社会基盤としての拡張や一新を図るに当たり莫大な費用が必要であり、その一環として寄付を直接募るよりは、祭りを開催し的屋を招き地域住民に参加してもらい、非日常(ハレ)を演出する事で的屋から場所代として売り上げの一部を普請の資金とした。
庶民も夜店や出店の非日常を楽しみ、日本の祭り文化が人生を豊かにし、技術を持った商売人としての的屋も生活がなりたったと言う背景がある。
ちなみに宝くじの起源である「富くじ」も、寺社普請のために設けられた、非日常を演出する資金収集の手段であった。
会日が縁日に変化し、庶民の生活習慣に深く根ざすようになった事や、各地域での経済の発展と市(定期市)の発生が、的屋を中心とする露天商の発展を促した。
また会日を根源とすることが、縁起と神事や祓いや占いなどの価値観が商売としても商品にも反映されているといえるだろう。
そして、江戸時代には祭り文化とあいまってますます栄え、この勢いは昭和初期まで続き、第二次世界大戦前の東京都内では、年間600超える縁日が催されており、忌日をのぞき日に2・3ヶ所で縁日が行われていた。
しかし戦争による疲弊から縁日は祭りとともに消えていった。
祭りは住民参加型であれば、復活するものも多いが、縁日は職業としての的屋が担う部分が多くあり、廃業や転職などと時代錯誤的な世間の風潮とあいまって、その総数は減少の一途をたどった。
的屋という職の減少が日本の各地の縁日の減少に多大な影響を与えている事は否めない。
的屋(まとや)が営む「懸け物の的場(景品交換式遊技場)」は、現在の温泉場や宿場町に残る射的場の起源であり、スマートボールやパチンコの源流でもある。
また法律の成立においても懸け物の的場(景品交換式遊技場)が基本にあるので、「遊技」と言う言葉が「遊戯」ではないのは、弓矢は技術が伴う事に由来し、法律の根拠としても偶然性のみのくじ引きである、「富くじ(宝くじ)」との区別の根拠となっている。
また的屋や宿場町で営まれる射的場は文化や時代の背景があり、情緒を伴うものであるが、現在のパチンコなどは利害だけの産業といえる。
香具師(やし)
的屋(てきや)は現在でも香具師(やし)と呼ばれる事がある。
その語源は一説によると、『古事記』にも登場する火の神で、出雲国にて出産時に産道を焼いてイザナミを死に追いやりイザナギに切り刻まれて沢山の神に分裂したカグツチ(ほのかぐつちのかみ)の加具土が “加具士→加具師→香具師” と変化したもの。
的屋の別称とされる神農の神は、農業と薬や医学の神であり、的屋の源流とされる香具師は江戸時代において、薬売りと、入れ歯の装丁・調整や販売、虫歯などの民間治療の歯科医でもあり、このことから神農の神を信仰していた。
また中華文明圏に由来する神農の神は、そもそも漢方薬の神であり、日本においても薬は漢方由来のものが歴史的にも多く存在した。
これらのことは、的屋と香具師の繋がりが示されるとともに、的屋が日本古来の薬の神を信仰しなかった、要因の一つと考えられる。
猿楽(さるがく)
平安時代に生まれた古典芸能。
日本古来からの物真似や形態模写などのお笑い芸や剣舞や独り相撲の舞踊りと唐から伝わった奇術や手品または、軽業や曲芸などの芸が合わさりできた芸能で、奉納相撲や御神楽祭の夜祭で演じられた。
寺社に所属する職業芸能人であり会日(縁日の原形)に寺社や大道で披露していた。
また公家や武家に庇護されたものは、能や狂言にまで昇華し、ゆえに猿楽は能と狂言の総称でもある。
現在においては、的屋家業としてその片鱗(がまの油売りの太刀まわりや南京玉簾など)は僅かにしか垣間見る事は出来ないが、寄席や演芸場で「染之介・染太郎」に代表される太神楽として広く知られる。
蓮の葉商い・如何様師
古くは寺社などの神託を受けて商品ではなく縁起物を振舞うことを生業とし、その謝意として祝儀を受け取る祭りには欠かせない、職である。
お守りを売っているのと変わらないわけで、その品そのものの商品価値より縁起物としての色合いが強いのである。
そのため、一部からは粗悪品を巧みな口上で不当な価格で売る真っ当でない商人との蔑視を受けた歴史を持つ。
際物売り・まがい物売りなどと表現され、的屋の発祥の一つとされる蓮の葉商いや如何様師(いかさま師)などがあり、その語源の発祥とその経緯(蓮の葉商いも如何様師もまがい物や際物を売る者という意味がある)が一致している。
手品や奇術の多くは唐から伝わり猿楽の芸の一つであり、如何様(いかさま)とも呼ばれ、それを行うものを如何様師とも呼称していた。
また的屋においても昭和初期まで奇術や手品を使い、客寄せをする者も多く存在し、「がまの油売り」が演じる「真剣を使って腕を切る」芸のカラクリにその片鱗が見て取れる。
的屋(まとや)
平安時代の公家が楊弓という弓矢で遊興を楽しんだ。
座ったままで行う正式な弓術であり、対戦式で的に当った点数で勝敗を争った。
後に江戸時代には、この公家の楊弓と庶民の神事である祭り矢・祭り弓が元になり「的屋(まとや)」が営む懸け物(賭け事)の「的矢(弓矢の射的遊技)」として庶民に楽しまれ、江戸時代の後期には隆盛を極め、大正時代まで続いたといわれるが、江戸時代から大正に至るまで好ましくない賭博や風俗であるとされ、度々、規制や禁止がなされた。
この的屋(まとや)が後の露天商を生業とする的屋(てきや)の起源の一つとされる。
「的矢」は、関西では楊弓場(ようきゅうじょう)、関東で矢場(やば)といわれ、祭礼の立つ日の庭場や遊郭で出店や夜店として、弓矢を使い的に当て、的の位置や種類により、商品や賞金が振舞われた。
また客が弓矢を楽しむ横からの矢の回収は危険であることから、関東の的屋の間で、危ない場所を矢場(やば)と言う様になり、危ない事を「矢場い・やばい」と表現し、隠語として使用した。
この「やばい」という隠語は的屋を中心に堅気でない者の間に広まり、昭和40年前後には当時の若者に広まった言葉である。
的屋と遊女
遊郭は一説に因れば「結界の意味を持つ」とする民俗学や民間信仰論もあり、政治的な治安維持としての役割と管理のし易さから、地域を特定したともいわれるが、一般の「定」から外れた部分を持つ治外法権でもあった。
また遊郭や遊女は古くは禊(みそぎ)や祓い(はらい)と言った神事でもあり、それは「渡り巫女」などの存在からも窺い知ることが出来る。
これらを背景として、遊郭は庭場(寺社や縁起に係わる場所)と同じ意味合いを持ち的屋が生業を営む場所であった。
そして的屋の源流とされる職種も遊女とのかかわりを持つものも多く存在している。
お蔭参り(御伊勢参り)や富士詣などは途中の旅路も過程も含めて「詣で」であり、宿場町に遊女(飯盛女)が存在し、客が遊興することは、禊や祓いであった。
この宿場町の風俗習慣と的屋(まとや)の営業する的場(景品交換式遊技場)が結びついて、宿場町や温泉街に矢場(射的場)が設けられた。
これが現在の射的場(スマートボールなども含め)の原形であり、昭和30年代頃まで俗に「矢場の女」といわれる遊女が射的場に存在した理由である。
傀儡女
- 平安時代にあった傀儡師といわれる芸能集団で、猿楽の源流一つとされ、旅回りや定住せず流浪して、町々で芸を披露しながら金子(きんす)を得ていたが、後に寺社の「お抱え」となる集団もあった。
男性は剣舞をし、女性は傀儡回しという唄に併せて動かす人形劇を行っていた。
この傀儡を行う女を傀儡女とよび、時には客と閨をともにしたといわれる。
蓮の葉女
- 江戸中期の井原西鶴の著書の中で、描かれている上方の大店に雇用されていた遊女のことで、上客や常客の接待として閨をともにした。
蓮の葉女と蓮の葉商いはその語源について繋がりがあり、諸説あるが蓮の葉商いが遊女としての側面を持っていたことが示唆される。
矢取り女
- 江戸後期には的屋(まとや)が営む矢場に登場した女性で、客の放つ矢を掻い潜りながら、的に刺さった矢や落ちている矢を拾い集め、舞う様に矢の飛び交う中を駆け回るのが、一つの芸であった。
また特別な日には最高の賞品として一定の条件を満たせば気に入った矢取り女と閨を共にする事が出来た。
転び
- 的屋の販売形態のひとつを表す業界用語でもあるが、辞書では「路傍(ろぼう)で営む遊女」も意味すると記述されている。
双方とも茣蓙が大事な商売道具でもあり、偶然なのか洒落なのか、またはそのような実態が的屋としての「転び」にあったかは定かではないが、茣蓙の上に商品を乗せる商いの総称ともとれる。
分類
売り場の高さによる分類
転び(ころび)
地面引いた茣蓙(ござ)などの上に直に商品を転ばして売っていたためにこう呼ばれている。
新案品と呼ばれる目新しい商品を売る事でも知られている。
その身軽さから、近年では庭場にとらわれず、小学校の下校時にあわせて、子供向けに売り場を開く事もあり、年代によっては、校門の近くで、消えるカラーインクセットやカラー砂絵セット(色別に着色した硅砂と木工用ボンド)、カラー油土の型枠セット(カタ屋)などを「ころび」から購入した経験を持つものも多い。
三寸(さんずん)
諸説あるが、売り台の高さが、一尺三寸になっているからといわれる。
その他にも渡世人として各地方を渡り歩く的屋家業の者が、顔役に世話になる時の「仁義を切る」ときの口上が、やくざと違い「軒先三寸借り受けまして、、、」と始まる事、舌先三寸(口車)で商売するや胸三寸(心意気)で商売するなど、または、屋台の骨組みが木材商で販売されている一番小さい構造材の三寸角であったことなどが挙げられる。
縁日や市や祭りが催される場所を求め渡り歩き(近隣や遠方への旅回り)床店(「とこみせ」とは組立式の移動店舗)で商売をする、いわゆる露天商であり、個人や個人経営の組もあるが、神農商業協同組合の組合員も多い。
また旅回りの的屋の世話役や、庭場の場所決めの割り振りや場所代の取り決めや徴収をする顔役をさし、この顔役を中心に組織化したものが、神農商業協同組合などであり、相互扶助を目的とした露天商の連絡親睦団体として全国の各地域に存在する。
高物(たかもの)
高物(たかもの)は転びや三寸が地面で商売するのに対し、大掛かりに仮設建築として床を持つ小屋を作る(見世物小屋)舞台や床などがあるのでこのように呼ばれる。
見世物小屋で軽業師、手品師などの見世物やお化け屋敷などの興行を運営し、高物(たかもの)の多くは全国仮設興行組合に加盟していた。
サーカスも元はこれらの興行師が海外から取り入れ運営していたので加盟していた時代があったとされる。
代目や商売の内容は代わっているが現在でも活動している「○○興行部」と呼ばれる興行プロの源流が高物である場合も多い。
的屋の世界では、この興行を行う者(興行師)を「引張り」という隠語で呼称する。
売り物や販売方法による分類
大占め(おおじめ)
啖呵売(たんかばい)もこれに含まれ、啖呵口上や一種の手品や奇術を使い客寄せをする。
客寄せする技術があり人がたくさん集まるので、目抜きから離れた広い場所で行う事が多く(良い場所は庭場料も高いのでそれを避ける意味合いもある)大きな場所占めるのでこの様に呼ばれる。
「ガマの油売り」や「南京玉簾」や「バナナの叩き売り」などがこれに含まれる。
小店(こみせ)
文字通り間口が小さな店が多く、飴などに代表される小間物(細かい、小さい物の事を指す。反対の言葉として荒物がある)を扱う事からもこの様に呼ばれる。
元は市や縁日で蓮の葉商いや棒手振といわれる庶民の街商であったといわれる。
伝統的な的屋で地域密着であり地元の人々が行っていて既得権があるので、一般の的屋よりその地域においてはいろいろな条件面で優先される事が多い。
木(ぼく)
文字通り植木を専門に売る的屋であり、元々は植木屋や現在でも植木屋と兼業する者も多い。
とび職や植木屋などは現在でも既得権として、地元限定で酉の市や朝顔市や羽子板市などまたは、正月のお飾りや七夕の竹、笹などを販売している。
商圏を背景とした組織・形態
旅回りという商圏
近年までは旅回りの的屋の相互扶助を目的とした「神農会」や「街商組合」が機能していたとされる。
旅においての不便や苦労を、互いに助け合うという精神の発露から、この様な組織が出来たといえる。
一般的には数件の店が一つのグループを作り、地方の縁日などを回っているが、都心の古くからある地域では一と六、二と八、三と七、五と十(四と九は縁起が悪いのと休みは的屋にも必要)の付く日で縁日を主要な町々で分けており、夏場や正月や花見など年中行事以外の限られた日数だけ地方に赴く団体もある。
また、移動や宿泊の経費が大きくなり遠隔地に出かけずにいる的屋の団体も多いとされる。
マーケットという新しい商圏
現在は祭礼や縁日に人出が減ったのに比べ、自治体が管理する公園や遊技場において各種団体が主催するフリーマーケットなどが多くなっている。
このため、地元の商店や店舗を持たない者が、副業や趣味または企業として露天での販売を行う姿も多くなっている。
時代の変遷と共に、伝統的な的屋の非日常(ハレ)の場独特の雰囲気を演出する技量を持つ者も少なくなり、懐かしむ声も聞かれる。
それに対し、寺社が主催し的屋という専門職が演出し庶民による伝統的な祭りとは違う、自治体や企業が主催し地域住民が参加する「手作り」の日曜マーケットなどの蚤の市が全国的に広く開催されている。
そのマーケットといわれるものが、伝統、文化的背景が無い事に懐疑的な見方をする声もあり、また「マーケットが台頭し祭りが廃れる」のではないかと危惧する声も聞かれる。
的屋と呼ばれる人々が「祭り」だけで成り立つのか、マーケットという新しい商圏に取り込まれ、伝統、文化的背景を無くしていくのか今後の時代の変遷が見守られる。
主な屋台
下記の分類が重複している場合もある。
その他は縁日を参照。
食品や玩具の販売
バナナの叩き売り
- 屋台等の板を派手に叩きながら独特の口上でバナナを売る。
綿菓子
- キザラ(グラニュー糖やザラメ)を高温で熱し、綿状にした菓子。
リンゴ飴
- リンゴに飴を絡ませた物。
現在は小さなリンゴなどもリンゴ飴にしている。
天津甘栗
- 伝統的に天津市港が海外出荷拠点であったシナグリとキザラを混ぜたものを、小石に混ぜて煎ったもの。
天津産のシナグリを国内産で賄う事もある。
この為、大きさが大きく異なる事がある。
ベビーカステラ
- 小さなカステラという意味だが、ホットケーキの丸めた物という感じ。
たこ焼き用の鉄板で作られる。
東京ケーキ、チンチン焼、ピンス焼の名で売られることもある。
独特の食感で根強い人気がある。
お面
- プラスチック製のアニメ・ゲーム・特撮等の人気キャラクターのものを販売する。
カタ屋
- 詳しくはカタ屋 を参照。
その他、籤や銀杏、椎などの元は時節や節気の縁起物である食品や祭礼用の品を売る屋台(古くは蓮の葉商いといった)などが縁日などではお馴染み深い。
その他の売物について詳しくは蓮の葉商いを参照。
動植物の販売
金魚すくい
- 小さな金魚を掬う。
大抵は高級金魚養殖の選抜で間引かれた個体で、一晩で死んでしまうことも多いが、育て方が上手だと結構良い形に成長する。
もともと金魚は縁起物として中国より伝わった。
ひよこ
- 養鶏場で商品価値の低い雄の ひよこの処分手段として売られているケースが殆ど。
スプレーで着色し「カラーひよこ」と称して売ったり、稀にウズラの子などを売るものもあった。
かわいらしい生き物ということで、定番となっていたが近年は余り見かけなくなった。
フィリピンでは出店で日常的に見られるが、飼育する上で育てきれない場合や近隣からの苦情などで社会問題になった。
植物
-海ほおずきやホオズキ,朝顔や小さな鉢植えなど縁起のいいとされるもの。
小動物
-鈴虫やキリギリス、かぶと虫やくわがた虫、ミズカマキリやタガメなど大人の好事家(音色を楽しんだ)や子供が好きなものや比較的珍しいものなど。
遊技や籤の提供
カタ抜き
- 動物やキャラクターなどの絵柄がプリントされた、ハッカ味で板状の砂糖菓子を買い、絵柄通りにカタ抜きをしていく。
綺麗に絵柄をカタ抜きできればお金がもらえるというシステムの屋台。
複雑な絵柄であるほど金額が上がる。
地域によっては「ナメ抜き」などと呼ばれる。
射的
-コルクを弾にした空気銃で的や景品に当てる射的遊技。
最近ではあまり見られなくなったが、古くは弓矢や吹き矢を使うこともあった。
近年では商品を薄い紙で吊るし、水鉄砲を使いその紙紐を濡らして商品を落とすといった射的もある。
競技(レース)
-小動物や昆虫や淡水魚(ウナギやフナ)などを使い直線コースのレースを行い勝敗を予想させるものでレースよりも出走する生き物が珍しかったり面白いので客が集まった。
くじ引き
遊技銃
-くじ(籤)を引き番号と同じ遊戯銃がもらえる。
最近では一回やって貰った物と、もう一回分の金額でワンランク上の物と変えてくれる屋台もある。
千本引き
-紐の先に色々な景品が結び付けられており全ての紐を一ヶ所に束ねている為、何が当たるか判らないという工夫をした、紐を使ったくじ引き。
封筒引き
- 封筒の中に商品の番号を書いた紙を入れておき客に引かせる単純なもの。
もとは、文鳥や十姉妹といった小鳥を使い手なずけて封筒を引かせる見世物でくじ引きだけではなく「おみくじ」が主だった。
鳥を使ったおみくじの見世物をする人は日本に数人しかいないといわれる。
台湾では現在でも夜市などで文鳥占いを一般的に見る事が出来るが、日本統治時代に伝わった物か元々台湾が起源なのかは定かでない。
コリントゲーム
-パチンコやスマートボールの原型となったもので自作のもので一等、二等、三等、スカなどのゴールを作り、玉の入った先で商品の当たり外れを楽しむといった遊戯で、現在では古くなったパチンコ台を利用していることが多い。
水盆引き
- 丸い金属製の盥(たらい)に周囲に区切りを設けて区域別にはずれや当りなどの色分けをして、水を張り、ドジョウや源五郎(ゲンゴロウ)を中心に落として行う一種のくじ引き。
的屋と指定暴力団(やくざ・極道・博徒・筋者)
的屋は神農とも呼ばれ、また的屋を稼業人、博徒を渡世人とも呼び別ける。
「無職渡世」とは本来、職業が公認されない博徒を指し、的屋について言われることはなかった。
生業とする縄張りも的屋では「庭場」、博徒では「島」と表現する。
古くは江戸時代の寺社奉行と町奉行の管轄の違いから来ているともいわれ、現在も地図上でその生業とする地域分けも江戸時代の名残が多く見られる。
また上記概要にも記述があるが、個々の信仰は別として的屋は職業神として神農を祀り博徒は職業神として天照大神を祀っている。
やくざ、暴力団との関係については、ヤクザ及び暴力団を参照
組織として「組」を形成し互助活動を行っていた。
これは的屋特有のものではなく、大工、鳶、土方(つちかた)などの建設業団体や河岸、沖仲仕、舟方(ふなかた)などの港湾労働団体や籠屋、渡し、馬方(うまかた)などの運輸荷役団体と同じである。
しかし、互助活動に対しての謝礼の授受が今でいう民事介入と言う表現になりやくざと同一視される由縁である。
そもそも老舗の組も元をたどればこれらの職業であったといえる。
指定暴力団・極東会が日本最大の的屋組織である。
他にも、飯島会、姉ヶ崎会などが的屋組織である。
各地の神農会を構成、運営していた「庭主」(世話役のこと)も、諸事情により その円滑な運営をなしえない状態にあるものもある。
本来、行商人や旅人(たびにん)の場所の確保や世話をする世話人が集まって組織となり神農会と呼ばれる庭主(組合)が起こったが、現在では、そのほとんどが各地の暴力団の傘下組織となり、一部には本来一番肝心な世話することを怠って何もしない「庭主」が「○○会○代目」、「○○組分家」、「○○会○○一家」と名乗り、競合する出店を脅迫し排除したり、挨拶に来るよう呼びつけ行商人などから着到(その地区の世話人に世話になる場合、到着した際に挨拶として持っていく手土産)名目で金品をたかる組織も存在する。
現在では一部地域において県の公認を受けた協同組合として活動している組織もある。
この場合においても、実際には○○組組長や○○会会長が協同組合理事長を兼任している場合が多く、協同の組合というより親分の私物の組合といった趣きが強い。
極端には、理事長そのものが替え玉という場合も存在するという。