竈 (Kamado)

竈(かまど)は、穀物や食料品などを加熱する際に火を囲うための調理設備。

概要

調理などで煮炊きをする場合、古くは囲いの無い直火に鍋などを加熱する方式によって食品の加熱調理が行われていた。
が、周辺に熱が熱放射などの形で逃げる他、煙が漂う・火が風で揺らぐなど効率が悪いため、土、石、セメントで作られる竈が発明された。

これらでは木(薪)といった直接的なバイオマス燃料や、炭などのバイオマス加工燃料が固形の燃料として用いられる。
また地域によっては石炭や家畜の乾燥させた糞が利用される場合もある。

この竈の発達により、調理者は裸火による直接的な放射熱に晒されなくてすみ、より高温の炎で調理することが出来るため調理時間の短縮にも繋がり、また調理方法も様々なバリエーションを生むようになった。
今日ある調理方法のほとんどは、この竈によってその原型が確立されたといっても過言ではない。

更に言えば、竈の発達は文明の発達に大きく寄与したとも考えられる。
調理の一極化や専門化を生んだとも言え、竈を中心に人が集中するようになった。
従来の炉が調理に手間が掛かっていたために食が賄える人の数はそれほど多くなかったのに対し、竈では高温での連続集中調理で多くの人の食事が賄え、これにより人口の集中が発生、そこに文明が育まれたとみなすことも出来よう。

しかし次第に文明が発達していく中で、調理用の熱源として焜炉ガスコンロのような他の燃料による簡便な調理用の炉が利用されるようになると、次第にその役目を終えて竈は姿を消していった。
現在の日本では、一部を除いてほとんど利用されなくなっており、地方農村でも埃をかぶるに任せられているのが現状である。

しかしそれでも日本では半世紀程度前(1950年代頃)までは使われていたため、飯の炊き方などにこの竈による調理方法が口伝などの形で残されており、これらは現代の炊飯器でも「美味しいご飯の炊き方」として再現されている。

この他、インドなどではタンドールという伝統的な竈があり、日本の本格インド料理店などにいくと、このタンドールが実用に供されているところが見られる(→タンドリーチキン・ナン)。
また和食文化でも、こだわりのある高級飲食店では、わざわざ日本式の竈を再現して煮炊きに利用しているところもあるようだ。

なお、日本全国で呼称はさまざまである。
関西では「へっつい」と呼ばれることが多いが、京都では「おくどさん」という名称が使われていた。

構造

竈は簡単な材料で作ることが可能で、使用耐久も長く、修理も比較的簡単なため、広く普及した。

構造としては単純なものでも火を被う囲いと、その上部には鍋や釜といった調理器具を置くための台が一体化している。
また屋内に設置されているものでは戸内に煙が充満しないよう、室外に煙突が設けられ、温度の高い煙は煙突から外へ、放射熱は調理器具の底を熱するようになっている形態が一般的である。

側面には燃料を投入するためと燃え滓(灰など)を掻き出すための口が設けられており、火の加減を調節するために利用される。
この口は地面と同じ高さになっている物も多く、主に土間に設置されていた日本の竈では、竈のすぐ下が土の露出した地面となっていた。

やや高度化すると、燃料を投じる口に金属製の蓋が設けられたり、燃え滓の排出口が戸外に設けられるなどしたものもみられる。
日本の竈も社会の高度化に伴って多様化し、七輪のような移動の簡便な焜炉が発展する以前より、長く広く利用されていた。

またヨーロッパや西アジア・中東方面では、相転移転移熱を使う種類のかまども多い。
こちらは火によって調理器具を加熱するのではなく、炉の中でいったん大量の薪などの燃料をくべて石造りの炉自身を加熱、炉が十分に過熱されたところでまだ熱い灰を左右に押しのけ、焼けた石のうえに鍋や金型などの調理器具に食材を載せ、炉内の熱で調理する。
これは「薪オーブン」とも呼ばれ、パンやパイを焼くのに適している。
また加熱中は一定以上に過熱されることがないことから放っておけ、また大量調理にも適している(むしろ少量調理には不便である)ため、特に農繁期の労働者に食事を提供するためにも利用され、鍋に入れた料理が冷めないよう保温に利用することもあった。
薪オーブンは、日本では『魔女の宅急便 (スタジオジブリ作品)』で魚のパイを焼くシーンに登場したので、実物は見たことは無くても、どんなものかイメージし易い人も多いことだろう。
イタリアのピザも本式ではそのような薪オーブンで調理される。

歴史的背景

もっとも単純な形の炉は、石を火の周囲に積み上げた物で、今日でもキャンプなどの飯盒による調理などでおなじみだが、既に石器時代にはそのような炉が登場していたと見られ、当時の遺構にその痕跡が見られる。
農耕文化の発達(→農耕民族・農業)に伴う人の定住化とともに、次第に土と石を組み合わせるなどして炉も常設化・大型化していったが、その過程でこの竈になったと考えられる。

これらはその土地の気候・風土によって様々な形態があるが、調理用の常設の炉が世界各地に古くから存在している。

西洋、東洋で長い間利用された。
竈の火はよく神聖化された。
古代ローマでは竈の女神(ウェスタ)もおり、竈の火が消えないように管理する巫女も存在した。

その他

現代日本ではその役割を終えた竈ではあるが、アフリカや東南アジアなどといった紛争や政治的混乱により社会整備が進んでいない国や、また古代さながらの原始的生活をしている民族もおり、これらの人々は戸外で裸火による調理をしている。
しかしこれらの国における樹木などの燃料資源は限られ、難民などの形で一極集中が起きた際には、瞬く間に周囲の樹木が乱伐採され枯れ果てるなどの二次的な環境破壊も発生している。

このためそのような地域では、より効率の良い調理手段が求められてもおり、これに応じて現地に日本式の竈の作り方を伝えるなどといった運動をしているという話も聞かれる。
これらでは炭の使用も含めて、森林保護に効果があると評されている模様だ。
なお難民など移動が多い場合には、七輪の利用といった運動も聞かれる。
(→七輪)

世界に進出する改良型日本式竈

国際協力機構(JICA)に所属しケニア在住の日本人食物栄養学者である岸田袈裟は、1994年に同地のエンザロ村で、其処にある材料で現地の需要に則して改良した日本式の竈を作り上げた。
これが現地で「エンザロ・ジコ」(ジコはスワヒリ語で竈の意)と呼ばれて、好評を呼んでいるという。
彼女は現地家庭の台所事情の調査の傍らや地域援助の際にこの竈作りを伝え、更にその竈の作り方は現地の人々の間で伝え合われている。
この竈は石で大まかな形を作って泥を塗り込んで形を整えて作られるが、僅か数時間で完成する上に薪の消費量が四分の一になった。
更に従来の裸火を使った炉では1度に1つの料理しか作れなかった所が1度で3種類の調理が行えることから、家庭の主婦の労力削減にもなった。

また従来は生活廃水も流入するような川の水をそのまま飲んでいたために乳幼児が感染症に掛かり死亡する危険性があったところを、湯冷ましを与えられるようになって病気の発生を予防できるようになったという。
2007年1月に産経新聞が伝えた所では、同村をはじめ10万世帯がエンザロ・ジコを利用している模様だ。

JICAによると、エンザロ・ジコ以外にも同機構の技術協力プロジェクトの派遣先にて日本式竈を現地にある材料で使いながら伝える活動が行われていると言う。
アフリカのマリ共和国・ニジェール・ブルキナファソ・ルワンダ・タンザニアのほかラテンアメリカのメキシコ、また南アメリカではボリビアなどでも竈作りが伝えられている。
こちらはエンザロ・ジコのような石組みに土を塗る方式以外にも煉瓦を利用している地域もあるようで、従来からある煉瓦を流用した簡易炉を竈風に組み直す活動も見られる。
(例:ボリビア)

こういった活動は地域の健康を促進するだけではなく、同時に家事に束縛される主婦の時間を節約させ、地域の農業生産力が向上したり、女性の地位向上にも影響を与えているとのことである。

[English Translation]