竹本 (Takemoto)
竹本(たけもと)は、義太夫節の開祖竹本義太夫の芸名の苗字。
転じて義太夫の太夫が芸名を名乗る際にはかならず竹本か豊竹を苗字とするようになった。
また、歌舞伎で用いられる義太夫節のことを竹本という。
チョボ、歌舞伎義太夫とも。
歌舞伎の幕内では長らく竹本が使われていたが、最近では対外的にも用いるようになった。
チョボの語は現在では差別的なひびきのある語として使用を避ける傾向にある。
丸本歌舞伎において三味線とともに語られる(歌うようでもあるが、義太夫は「歌う」と表現せず、「語る」と表現する)義太夫節、あるいはそれを語る太夫および三味線方、また語ること自体を竹本という。
内容的には文楽(人形浄瑠璃)における義太夫と大差はない。
しかし、文楽であれば全編を太夫が語るのに対して歌舞伎の場合は役者の台詞の部分を抜いて語る。
台詞と地のつけ具合や役者のしぐさに合わせて語るなど文楽の場合とは多少の技術的な違いが生じる。
このような理由から、人形浄瑠璃のそれとは区分されている。
戦後のある時期までは、文楽の側に竹本を低く見る意識がつよく、歌舞伎に出ることは義太夫にとって「身をおとす」という意識がつよかった。
文楽と竹本にさまで大きな内容的相違がないにもかかわらず、これを明確に区分しようとする意識がつよいのはこうした階級意識によるところが大きい。
現在でも文楽座の太夫、三味線方が歌舞伎に出演する際には、特殊なとりきめ(歌舞伎役者が台詞を言わず、全編を義太夫がとる)があり、通常はこうした交流は行われない。
ただし近年では、劇付随音楽としての竹本の独自性や技術を積極的に再評価し、文楽義太夫とはまた別の音楽として考える傾向がつよくなってきている。
現在、歌舞伎の竹本を専門に業とする太夫には豊竹姓がおらず、今後も竹本姓だけを用いることがとりきめられているために、このような名称を定めるにいたった。
文楽義太夫とは別に、歌舞伎義太夫の独自性を主張する意味合いも込められている。
チョボの語源は諸説あってよくわからない。
しかし、むかしの歌舞伎の台本には義太夫の地に点が振ってあった。
床本のチョボがとる部分にもとは赤い付箋をしていたがこれがいつからか点の印で代用されるようになった。
このような説が有力であり、いずれも点をチョボという俗語から出ていることが共通する。