蘇志摩利 (Soshimari)
蘇志摩利(そしまり)とは、雅楽の一曲。
別名長久楽(ちょうきゅうらく)・蘇尸茂利(そしもり)。
右方(高麗楽)に属する6人舞。
なお新楽では4人舞。
高麗双調(こまそうじょう)。
舞人は襲装束(かさねしょうぞく)に蓑を着て途中で腰に下げていた笠を被って舞う。
雨乞いの際に舞われたと験あり言い伝えられる。
番舞は「蘇莫者」(そまくしゃ)。
『教訓抄』高麗部に記載がある。
近衛天皇の久安年間(1145年-1150年)に此樂今者絶とされる。
『日本紀通證』(谷川士清)において、高麗曲に樂名蘇志摩利 又樂具蘇志麻理ありとされるという。
『日韓古史斷』参照。
明治に再興された。
第二次日韓協約・韓国統監府設置記念で林広継に再興が命じられたという説がある。
芝葛鎮による再興との説もある。
近年ではに明治神宮で舞われた。
天を逐われて新羅に渡ったスサノオとその子五十猛神が曽尸茂利(そしもり)の地で大雨にあい、青草で作った簑笠で雨を凌いだという故事を基にしてできた舞と伝えられる。
由来
『和名類聚抄』二十巻本第10卷にある蘇志摩利の記述を引用した『先代旧事本紀』(日本紀講筵の際提出された偽書とされる)巻第四 地祇本紀の素戔烏尊によるヤマタノオロチ退治の前段の分注記事による。
そしもり
曾尸茂梨については『日本書紀』 卷第一 第八段 一書第四のヤマタノオロチ退治の前段に記述がある。
また素尸毛犁については偽書とされる『桓檀古記』所収の「檀君世紀上編」の三世檀君 嘉勒の条に次の記述がある。
曽志茂利社という名が関連する神社は、熱田神宮の末社(孫若御子神社の北に南面)に祭神は居茂利大神(スサノオ)とされる曽志茂利社がある。
諸説
吉田東伍の「古代半島諸国興廃概考」(8月号『史学会雑誌』21号p.21~22。)に素盞鳴尊の韓郷之島曽尸茂梨之処の曽尸茂梨を牛頭山とし、漢の春秋戦国時代の西暦紀元前4世紀と推定した。
同論文は後に、『日韓古史斷』()の34-35ページの記述となった。
この後 朝鮮江原道春川郡朝鮮の江原道春川にある、元新羅の牛頭山に 江原神社がつくられた。
(に社が建てられる10月1日、国幣小社になった。)
『釈日本紀』(述義)にある陽成天皇によるの日本紀講筵の元慶度講書(-)で、惟良宿禰高尚(惟良高尚)がソシモリを今の蘇之保留と解説した。
その分注に「此説甚可驚云々」とされた。
金沢庄三郎は『日鮮同祖論』(復刻版 成甲書房、)で「曽尸茂梨の(助辞)尸を除いたソモリは、徐伐すなわちソホリと音韻上一致し、すなわち、モとホすなわちmp音の相通である」とした。
韓国の宗教文化研究院長の崔俊植 梨花大学教授は、ソシモリは、「ソシ」は「高い柱」、「モリ」は「頂上・てっぺん」、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意とした。