ソメイヨシノ (Someiyoshino)

ソメイヨシノ(染井吉野、学名:Prunus × yedoensis)は、エドヒガン系のコマツオトメとオオシマザクラの交配で生まれたサクラの園芸品種である。
現代の観賞用サクラの代表種であり、「吉野桜」と表記する場合もある。
また、エドヒガンとオオシマザクラを交配したものすべてを「ソメイヨシノ」ということもあり、狭義のソメイヨシノを二名法の「ソメイヨシノ 'ソメイヨシノ'」と書く場合もある。
この項では狭義のソメイヨシノについて述べる。

命名の由来

江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出していた。
藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、1900年(明治33年)「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名された。
名称は初め、サクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和国の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」とされたが、「吉野(桜)」の名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、上野公園のサクラを調査した藤野寄命博士が「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名したという。

特徴

ソメイヨシノ Prunus × yedoensis はエドヒガン P. pendula Maxim. f. ascendens (Makino) Ohwiとオオシマザクラ P. lannesiana var. speciosa の雑種が起源である可能性が高い。
なお学名の×は自然種間交雑種の表記であり、人工交配種の場合この表記は用いられないという。
ソメイヨシノが自然交雑種なのか、人工交配種なのかは不明だとして、この学名の妥当性に疑問を呈する声もある。
エドヒガンではなく、コマツオトメのこう配だという研究結果もある(ただしコマツオトメも種としてはエドヒガンの園芸品種で、その中の1クローンではある)。

外形的特徴

花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となる。
開花期は九州地方で3月末ごろ。
花色は、咲き始めは淡紅色だが、満開になると白色に近づく。
原種の一方であるエドヒガンと同じく、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく、派手である。
エドヒガンの花が葉より先に咲く性質とオオシマザクラの大きくて整った花形を併せ持った品種である。

萼筒は紅色でつぼのような形をしている。
樹高はおおよそ10m~15m。
若い木から花を咲かすために非常に良く植えられている。

種子で自然に増えることがない

ソメイヨシノは種子では増えない。
各地にある樹は、全て人の手で接木(つぎき)などで増やしたものである。

一代雑種のため自家交配の結実率が極めて低い、とする説も有る。
しかしむしろ、交雑または交配の結果、自家不和合性 (植物)が強く出た品種の可能性が強い。
実際、枝の条件により、かなりの結実を観察することができる場合も有る。
もっとも、その場合でも同一個体内で受粉し結実した種が発芽に至ることは無い。
このためソメイヨシノの純粋な子孫はありえない。

とは言え、ソメイヨシノ以外の桜との間で交配することは可能であり、実をつけ、その種が発芽することもある。
しかしながら、この場合ソメイヨシノの遺伝子特性を強く継いだとしても遺伝子的特性が変化してしまい、ソメイヨシノとは別種になる。
このため、ソメイヨシノの種から成長した桜はソメイヨシノということができない。
ソメイヨシノから取れる種はあれど「ソメイヨシノが生える種」なるものは現在存在していないのである。

なお、ソメイヨシノとその他の品種の桜の実生子孫としてはミズタマザクラやウスゲオオシマ、ショウワザクラ、ソメイニオイ、ソトオリヒメ (サクラ)など、100種近くの亜種が確認されている。
また、「サクラエドヒガン群」と言うサクラの品種がある。
この品種は、日米友好の為にアメリカに送られたアメリカにてソメイヨシノの実生から作られたとされている。

人の手による作出

種ができない特性はソメイヨシノは人間の手によって以外に広まる手立てがないということでもある。
ソメイヨシノは一般的に他の台木に接木をして育ったものや挿し木、植え替えによって増える。
このため人間と切っても切れない関係にあり、人の手によって広まっていった。

全てのソメイヨシノは元をたどれば同一の一本に繋がり、全てのソメイヨシノが一本のソメイヨシノのクローンとも言える。
これは全てのソメイヨシノが一斉に咲き一斉に花を散らす理由になっているが、特定の病気に掛かりやすく環境変化に弱い理由ともなっている。

人気・話題性

ソメイヨシノは、街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、以前からその起源についてと共に、可否好悪についても、愛桜家の間で論争の絶えなかった品種である。
歴史的には江戸時代中期~末期に園芸種として生まれたとされている。
葉より先に花が咲き開花が華やかであることや、若木から花を咲かす特性が好まれ、明治以来徐々に広まり、更に第二次世界大戦後荒廃した国土に爆発的な勢いで植樹され、日本で最も一般的な桜となった。
現在もほぼ日本全域に分布する最もポピュラーな桜であり、例年3月に気象庁が発表する「さくらの開花予想」(桜前線)も本種の開花状況が基準となっている。

起源についての諸説

ソメイヨシノは江戸時代中期~末期に園芸品種として確立した。
園芸家による人工的な品種改良作出説と、自然交雑した物を、園芸家が挿し木によって増やしたという説とがある。
また、アメリカの植物学者にはソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種ではなく独立した種であるとの説を唱える者もいる。

伊豆半島説

1916年に屋久島のウィルソン株にその名前を残すアメリカのアーネスト・ヘンリー・ウィルソン(enErnest Henry Wilson)によりオオシマザクラとエドヒガンの雑種説が唱えられ、国立遺伝学研究所の竹中要(たけなか かなめ)の交配実験により、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の中からソメイヨシノおよびソメイヨシノに近似の亜種が得られることが分かり、1965年に発表された。
これを受けて自然交雑説を採る場合、オオシマザクラおよびエドヒガンの分布状況から、伊豆半島付近で発生したとする伊豆半島発生説が唱えられた。
しかし、現地調査から自然交雑の可能性は否定的である。

韓国起源説

ソメイヨシノは韓国の王桜を期限とする説もあったが、2007年米国農務省による遺伝子調査によって、韓国の王桜は韓国固有であり日本のソメイヨシノとは別種であることが確認されたため、本説は完全に否定されている。
しかし、大韓民国ではいまだに「王桜=ソメイヨシノ」説を唱え(韓国起源説参照)、王桜の自生地にソメイヨシノを植林する活動が積極的に進められており、逆に韓国の在来種であるはずの王桜の絶滅が心配されている。

1939年に小泉源一が大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えたが、小泉がソメイヨシノと王桜との比較に用いたとされる押し葉標本が残されておらず、当初からこの説は疑問視されていた。
また、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配的形態を持ち、遺伝子の特性もオオシマザクラとエドヒガンの特性に似るが、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらずこの点からも不利であった。
基督日報が「世界的な影響力を持ったサイトなどを訪問して、韓国に関する間違いを修正してくれるように願う。」として、enCherry blossomを書き換える方法を掲載し。

しかしながら2009年4月10日、韓国の三大紙の中央日報はソメイヨシノは韓国汝矣島が発祥であるとしている
さらに、多くの韓国人学者達が桜は日本起源ではなく、韓国起源であると主張していることを明らかにしている。

人工作出説

これに対し、明治初年に樹齢100年に達するソメイヨシノが小石川植物園に植えられていたという記録や、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋の記録にソメイヨシノを作出したという記録が発見されたことから、岩崎文雄らは染井村起源説を唱えている。
この植木屋の記録により1720~1735年ごろ、駒込の西福寺に墓の残る当地の伊藤伊兵衛政武が人工交配・育成したとの推定もある。
これによって現在では染井村起源という可能性が有力である。

2007年3月、千葉大・静岡大などの研究グループが、遺伝子解析の結果、オオシマザクラとエドヒガンの園芸品種の一つであるコマツオトメの交配で生み出された可能性が高いと発表した
第111回講演会 『』。
4/5ページ(中西印刷株式会社サイト)PDFファイル。

これは岩手大学講師であった橋本昌幸(2003年(平成15年)11月25日没75歳)が竹中要の説に従い交配した桜はソメイヨシノに似ず、橋本の助言がきっかけで中村郁郎らがDNA解析からオオシマザクラと上野恩賜公園のコマツオトメを交配し2008年春に千葉大学園芸部で5本を鉢に植え、4年または5年後の2012年または2013年にソメイヨシノが再現されると見込んでいる。

用途

街路樹、河川敷、公園の植え込みなどに広く用いられている。
花見に一番使われる木となっており、人気種である。

病気等

サクラ全般に共通の欠点として、ソメイヨシノも排気ガスによる大気汚染などの環境悪化に弱いこと、病気や虫の害を受けやすいことが指摘される。
全個体がクローンであるため、新しい耐性を手に入れる能力も低い。

てんぐ巣病

他のサクラよりてんぐ巣病(てんぐすびょう)にかかりやすい。
サクラてんぐ巣病はTaphrina wiesneriという酵母菌状の子嚢菌の感染により起こる病気で、その上部では小枝が密生して、いわゆる「天狗の巣」を作る。
更に、開花時には小さい葉が開くので目障りとなったり、罹病部位は数年で枯死したりといった被害を与える。
罹病した病枝は切り取って焼却しなければならない。

キノコ類による被害

サルノコシカケ等の白色腐朽菌類が繁殖し、罹病した病木を切り取らなければならないケースが急増しており、特に公園や街路樹として植えられている木が深刻な状況に陥っている。
こうした症状は外からでは分からないため、特別な機械を使わないと診断できない。

アメリカシロヒトリによる被害

アメリカシロヒトリによる葉の食害により、高齢木を中心に樹勢が減退することがある。
アメリカシロヒトリは、葉の裏に造る巣網の中で3齢虫まで集団で成長することから、成虫になる前に枝・葉を落とす直接除去もしくはフェニトロチオンやオルトラン乳剤などの殺虫剤を適宜散布することにより駆虫する。

環境による樹勢低下
排ガスなどの大気汚染ももちろん、近年の地球温暖化やヒートアイランド現象で、ソメイヨシノが急激な環境の変化についていけていないことが病気の遠因になっている節がある。
根の近くが舗装されることも樹勢を削ぐ。

また、花見に一番使われる木であることも病気の遠因といえる。
根に近い土壌を過剰に踏みしめられることは木に良いとはいえない。
また、それ以上にマナーの悪さが木に影響する。
木の下で焼肉やバーベキューなどの火を使う行為は木に悪影響を与えるため避けるべきである。
あまつさえ花見客が枝を折ったり切り取ったりすることなどは問題外である。
桜全般に言えることであるが、枝を折られるとそこから腐りやすいため、知識もなく枝を折ることや切ることは慎むべきである。
折れたり切れたりした部分は雑菌の繁殖を防ぎ、腐らないように保護することが重要である。

寿命

ソメイヨシノには大きな欠点がある。
数百年の古木になることもあるヤマザクラやエドヒガンに比べて高齢の木が少ないことである。
「60年寿命説」なる俗説があるほどである。
ただし、正確な寿命に関しては、統計数値がないため不明であり、また、大径になる木は理論上は寿命がないと考えられている。

老木の少なさの原因ははっきりしていないが、「ソメイヨシノは成長が早いので、その分老化も早い」という説があるほか、街路のように排気ガスなどで傷むこと、公園と言った荒らされやすい場所に植樹されているということも、寿命を縮める原因となっているのではないかとの指摘もある。
ソメイヨシノは接ぎ木によって増やされる為、接ぎ木の台木とされたヤマザクラが腐って心材腐朽を起こし、寿命を縮めているという説もある。
また、全てのソメイヨシノが同一の特性を持つために全てのソメイヨシノが病気や環境の変化に弱く、それらに負け一斉に枯れるという点もある。

しかし、こうしたイメージの一方、ソメイヨシノの老木も存在している。
東京都内の砧公園のソメイヨシノは1935年に植えられたものなので、すでに70年以上が経過している。
また、青森県弘前市ではリンゴの剪定技術をソメイヨシノの剪定管理に応用するなどして樹勢回復に取り組んだ結果、多くのソメイヨシノの樹勢を回復することに成功している。
但し、紅葉・落葉直後にすぐ剪定することでC/N比(炭素/窒素比)を変えたり、根回しや土壌交換による細根の発生をもたらすなど管理に留意を要する。
弘前城跡公園には樹齢100年を超えるソメイヨシノがあり、これは本種の現存する最も古い株であろうと言われる。
なおこのソメイヨシノを1882年に植林したのは、擬似科学批判で知られる物理学者菊池誠 (大阪大学)の曽祖父で、「青森りんごの始祖」とも言われる菊池楯衛である。

人によって広められたソメイヨシノは人の手を借りることでその命を永らえ、花を咲かすことができるのである。

[English Translation]