ツキガタプロダクション (Tsukigata Productions)
ツキガタプロダクション(登記上正式表記ツキガタプロタクシヨン、1928年 設立 - 1932年 解散)は、かつて京都、のちに奈良に存在した映画会社である。
当時の若手人気俳優「月形陽候」こと月形龍之介が設立した。
8本のサイレント映画と2本のトーキーを製作した。
略歴・概要
牧野省三のマキノ・プロダクションの専属俳優だった月形龍之介は、1928年(昭和3年)2月、同社との配給提携を条件に設立したのが、この「ツキガタプロダクション」である。
これを期に「月形陽候」と改名した。
設立第1作は、井上金太郎の「秋篠珊次郎」名義によるオリジナル脚本での監督作『酒毒の剣法』であった。
同作は同年6月15日にマキノ・プロダクションの配給で公開された。
井上の監督作3本、悪麗之助の監督作を製作し、翌1929年(昭和4年)井上の監督作『剣士沖田総司』を製作して、一度同社を解散した。
同年8月には月形一党は松竹京都撮影所に入社、名も「月形龍之介」に戻した。
1931年(昭和6年)5月、トーキー映画の製作を目指してふたたび独立、奈良の生駒山山麓に撮影所を建設し、「月形プロダクション」とした。
新社第1作は直木三十五の原作を得て『舶来文明街』を製作した。
映音のシステム不備でパート・トーキーとなったが、キネマ旬報ベストテンで第5位の高評価を得た。
第2作は映画『スカラムーシュ』(監督レックス・イングラム、1923年)の原作者ラファエル・サバチニの小説を原作に、『暁の市街戦』を製作、今回はP.C.L.映画製作所のシステムでオール・トーキーが可能になった。
いずれも「欧米映画社」が配給した。
しかし、この2作で月形は15万円もの負債を背負い、再度プロダクションを解散、月形は東活映画社に入社することになった。
残された生駒の撮影所は、同年に設立された富国映画社がひきつづき稼動させた。