一寸法師 (Issunboshi (The Inch-High Samurai))
一寸法師(いっすんぼうし)は、日本の説話の一つ。
現在伝わっている話は御伽草子に掲載されたものが元となっている。
あらすじ
現在一般に知られている一寸法師のあらすじは、以下のようなものである。
子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉三神に祈ると、老婆に子供ができた。
しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代のメートル法で3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。
子供は一寸法師と名づけられた。
ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言った。
御椀を船に、箸を櫂にし、針を刀の代わりに、麦藁を鞘の代りに持って旅に出た。
京都で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことにした。
その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来た。
一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ。
一寸法師は鬼の腹の中を針で刺した。
鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまった。
一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくした。
身長は六尺(メートル法で182cm)になり、娘と結婚した。
ご飯と、金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたという。
しかし御伽草子に掲載されたものは、今のようなこととは少し話が異なっている。
老夫婦が、一寸法師が全く大きくならないので化け物ではないかと気味悪く思っていた。
そこで、一寸法師は自分から家を出ることにした。
京で一寸法師が住んだのは参議殿の家
一寸法師は宰相殿の娘に一目惚れし、妻にしたいと思った。
しかし小さな体ではそれはかなわないということで一計を案じた。
神棚から供えてあった米粒を持ってきて、寝ている娘の口につけた。
自分は空の茶袋を持って泣きまねをした。
それを見た宰相殿に、自分が貯えていた米を娘が奪ったのだと嘘をついた。
宰相殿はそれを信じて娘を殺そうとした。
一寸法師はその場をとりなし、娘と共に家を出た。
二人が乗った船は風に乗って薄気味悪い島に着いた。
そこで鬼に出会い、鬼は一寸法師を飲み込んだ。
しかし一寸法師は体の小ささを生かして、鬼の目から体の外に出てしまう。
それを何度か繰り返しているうちに、鬼はすっかり一寸法師を恐れ、持っていた打出の小槌を置いて去ってしまった。
一寸法師の噂は世間に広まり、宮中に呼ばれた。
天皇は一寸法師を気に入り、中納言まで出世した。
そして他の資料にも類話は残されている。
長者の娘への策略は江戸時代に著わされた『神国愚童随筆』にも見え、記録されている。
娘は濡れ衣を着せられた状態で一寸法師に預けられる。
しかし、求婚者の携えてきた食物を口にすればその男の意思を受け入れたものと見なす観念が働いている。
婚約者を得た法師は手に入れた小槌で若者に成長し、娘と結ばれる。
話によっては娘に対する計略のモチーフを欠いている話もある。
鬼退治のみで計略や若者への成長がないもの。
各地に伝わる話によってはその内容に変化が多い。
解釈
現在伝わっている話がいつ成立したかは未詳である。
しかし、室町時代後期までには成立していたものとされる。
「小さな子」のモチーフは、日本においては日本神話のスクナヒコナ(少・大地男神、スク少・ナ大地・ヒコ男神・ナ接尾辞)がその源流と考えられる。
スクナヒコナは「日本霊異記」の道場法師、『天神縁起』の菅原道真を媒介し中世の『小男の草子』、近世の『御伽草子』の一寸法師にまでつながっていく。
国土造成神スクナヒコナが水辺に出現したように昔話の「小さ子」の主人公も何らかの形で水界と関わっている。
水神にまつわる基層信仰の存在が指摘されている。
年老いて子がない事自体共同体の中では異端である。
その異端者が神に祈願して脛から生まれたりタニシの姿(田螺長者)で生まれたりする。
このような異常な出生は英雄や神の子を語るときの常でもある。
御伽草子の一寸法師が有名になったことで、各地に伝わる小さな人が出てくる民話や伝承も「一寸法師」と呼ばれるようになった。
なお一寸法師が住んでいた津の國難波の里とは現在の三津寺(ミッテラ)から難波付近と言われている。
また御伽草子には「すみなれし難波の浦をたちいでて都へいそぐわが心かな」とあるため、椀に乗って京に向って出発した難波の浦は、現在の道頓堀川だと言い伝えられている。
民俗学
大国主命(オホナムチ・大大地尊、オホ大、ナ大地、ムチ尊い方)がスクナヒコナの助力により国づくりをしたように小人は巨人とペアになって英雄の属性たる力と知恵をそれぞれ分け持つことが多い。
巨人が知恵の欠落により鬼や笑われ者へと転落するのに対し、小人は悪知恵を働かせる。
そして最後は成人の姿になりめでたく家に帰還する。
社会層にとっては力よりも現実的な困難をするりとかわして行く狡知のほうが求められたのだろう。
小童だからこそ悪質ないたずらも許される。
昔話の狡猾者譚『俵薬師』には英雄にあるべき正義のかけらもないような狡猾な悪者としての主人公のわらしが登場する。
雇い主の金持ちを徹底的にやっつけ殺すその手口は一寸法師に似ているものの悪質である。
わらしは次々と嘘をついて主人を騙しついには堤に突き落とし殺してしまう。
そしておかみさんと無理やり夫婦になってしまう。
「嫌がるおかみ様と無理やり夫婦になったどさ。どっとはらい。」と語り収める。
その語り口はどこかユーモラスでありパロディとブラックユーモアに満ち満ちている。
嘘と虐殺によって富と女を手にする俵薬師の少年は知恵によって鬼の宝と女を手にする一寸法師の裏の姿である。
そして「小さ子」神の末裔に他ならない。
俵薬師の少年の残虐性は罪もない異人に向けられている。
ただ通りがかっただけの座頭・眼病病みの乞食といった弱者でさえ騙し身代わりとして殺してしまう。
ここに異人達を撲殺し代償として成り立つ村の暗い一面が照らし出されている。
悪質な知恵の働きを笑いとユーモアの中に語るところに、知恵の破壊的な超秩序な側面が示されている。
それとともに、村の共同体の複雑さがある。
知恵は正義や潔さを無意味化し権力の維持にとって重要な安定した秩序を笑い飛ばす危険なパワーをはらみもつのだという。
スクナヒコナは国土創造神であり実は薬作り酒造りなどの化学技術の創造神であった。
これも「知恵」が単純に文化秩序を象徴するわけではないことを物語っている、と共立女子短期大学講師・猪股ときわは分析する。
類話
「小さ子」が活躍する話としては全国に分布している。
一寸法師、すねこたんぱこ、あくと太郎(あくとは踵)、豆助(親指)、指太郎(生まれた場所を表す名。)、豆一、五分太郎(次郎)(小さいことを表す名。)、三文丈、一寸小太郎、タニシ、カタツムリ、かえる、アイヌのコロポックルカムイ、キジムナー、ケンムンなど、誕生の際異常に小さい点では桃太郎、瓜子姫、かぐや姫も類縁関係である。
鬼退治・結婚の策略・呪具の要素をめっぐってバリエーションが多い。
脛指からの誕生や小動物の誕生から策略による結婚への展開は古く御伽草子の一寸法師形よりは新しい。
中国・四国地方に昔話の流行の跡を残す。
隠された謎
物語の筋の上では、一寸法師は武士になりたいといい京の都に行くとある。
しかし、実際、いつまでたっても大きくならず成長しない法師を気味悪がる老夫婦を察知し、捨てられる前に家出した。
驚くべきことに家を出た一寸法師はかなり悪いこともした。
いわゆる「ちょい悪の詐欺師」であった。
一寸法師もまた「小さ子(ちいさきこ)」のお伽話である。
水界(海)の女人が神との交合により処女懐胎し「小さな子」を産み落とす話である。
歴史作家・関裕二によれば、老夫婦が祈願する住吉の神とは住吉大社にまつられている住吉三神である。
住吉大神と並んで神功皇后が祀られている。
その神功皇后は今の北九州地方に滞在中、夫仲哀天皇を亡くし住吉大神といわゆる「不倫」をしたとされるいわく付きの人物でもある。
その後応神天皇が生まれている。
住吉大社には仲哀天皇が祀られず神功皇后と住吉大神が寄り添うように祀られている。
日本全国各地の応神天皇を祀る神社や神功皇后を祀る八幡神社神社も同様に仲哀天皇が無視されている。
石清水八幡宮(現・京都府八幡市)に祀られている応神天皇は一寸法師にそっくりであり、3歳で生まれ竹の葉の上に乗り生まれて来たとある。
同様に同じ八幡宮を祀る鹿児島神宮(現・鹿児島県霧島市)の裏手に奈毛木(なげき)の森がある。
当地に伝わる伝説としてその昔高貴な小子(蛭子)が生まれ流し捨てられ嘆き悲しんだとある。
その様子が一寸法師に似ている、と関は推理する。
関が暗示するように、応神天皇に似た一寸法師を住吉大神が授けたとも取れる。
したがって、応神天皇が神功皇后と住吉大神の子であることを暗示しているようである。
またこの住吉大神の別名は「塩土老翁」である。
長寿の事から同じく歴史上の人物、武内宿禰とも繋がっている。
武内宿禰は古代豪族、臣の祖である。
塩土老翁は神武東征をうながし、武内は応神東征を助けたことでも共通している。
したがって、一寸法師こと応神天皇の父は仲哀天皇でなく住吉大神で武内宿禰だったと納得がいく。
8世紀に蘇我氏を滅亡に追いやり天下を取った人々が王家の歴史を書き換えた可能性が高い。
「天下の大悪人」とののしられた蘇我氏が王家の血筋にかかわりを持っていたことを隠匿するために必要にかられ創られた物語である。
蘇我氏は歴史の敗北者であり、『正史』によりその正体と功績が抹消されている。
歴史に破れ朽ち果てた者たちが、無念の思いと歴史の真実を後世に残したいと思いこの種のお伽話を創作したといえる。
「歴史を抹殺する者」と「歴史を残そうとする者」の葛藤の間に生まれこの2つの対立する立場が、「真相をうやむやにするためのお伽話」と「真相を明らかにするためのお伽話」を生み出した、と関祐二は語る。
いずれにせよ一寸法師と浦島太郎の2つの昔話の中に歴史上の蘇我氏の影が身を潜めていると言える。
人間の平均身長が伸び始めたのは、比較的近年からのことである。
遠い人類誕生期から伸び続けていたら、最初人間は一寸法師くらいの大きさだったのだろうかという医療人類学的な問いかけもあるかもしれない。
ことわざ
小人(しょうじん、小人物、背の低い人、一寸法師、)の諺は、小人閑居して不義を為す…小人物は暇だとついよくないことをする。
小人の過つやかならず文(かざ)る…小人物は過ちを犯してもそれを改めようとはしないで、つくろい飾ろうとする。
小人に罪無し、玉を抱いて罪有り…小人というだけで罪はないのだが、小人が身分不相応の財宝を持つと、とかく過ちを犯しやすい。
児童文学
明治時代の児童書、巖谷小波著『日本昔噺』(1896年・明治29年発表)全24編の内の一冊、一寸法師において小波型一寸法師を定着させた。
この本はその後、明治40年までの約10年間に20余版を重ね、大正末期まで読み継がれた。
現在出版されている児童書は、大筋では大半がこの小波型一寸法師の線上にあるといってよい。
本来の悪賢さが消え、愛すべき一寸法師になっている。
鬼を退治するのも姫のお供で清水観音へ行った時の事になっている。
絵本では石井桃子・再話、秋野不矩・絵『いっすんぼうし』(1965年福音館書店刊)が出色。
日本ではペロ-童話の『おやゆびこぞう』が1896(明治29年)に『小説一寸法師』の題名としてそれぞれ雑誌『小国民』に紹介された。
唱歌
1905年(明治38年)『尋常小学唱歌』にも巖谷小波作詞の「一寸法師」が収められ、子供たちに歌い継がれている。
この唱歌がもとになって、明治7年、小学3年の国語の教科書に物語がのり、広く流布した。
現在でも立身出世、弱者出世のこの型が多くのコンセンサスをとっている。
原文は総カナ旧カナだが、漢字まじり平かなに書きなおす、
唱歌「一寸法師」
指にたりない一寸法師 小さいからだに大きな望み お椀の舟に箸のかい 京へはるばるのぼりゆく
京は三条の大臣どのに 抱えられたる 一寸法師 法師法師とお気に入り 姫のお伴で清水へ
さても帰りの清水寺に 鬼が一匹現れ出でて 食ってかかればその口へ 法師たちまち踊りこむ
針の刀を逆手にもって チクリチクリと腹つけば 鬼は法師を吐きだして 一生けんめい逃げていく
鬼が忘れた打ち出の小槌 打てばふしぎや一寸法師 ひと打ちごとに背がのびて 今は立派な大男
金融商品
一寸法師(いっすんぼうし)はゴールドマンサックス証券の日本小型/新興株ファンド。
時価総額の小さな企業、株式上場から日が浅い企業に投資する金融商品。
企業・飲食店
個室の夢、一寸法師(いっすんほうし)は備長炭、せいろ蒸しの飲食店。
立川市「お伽噺 TACHIKAWA」内の人気店。
店内に漆黒のおわん型の個室が多数あり、店内の空中に巨大なおわんの船や箸の櫂のオブジェが数多く宙に浮かび、一寸法師の童話世界をダイナミックに表現。
備考・その他
辞書では一寸法師は「非常に背の低い人、dwarf(ドワーフ)」と書いてある。
一寸法師の御伽噺から、本名を「一寸法師」と名付けられた人がいる。
実業家で、上場企業フリージア・マクロス社長の奥山一寸法師である。