七草 (Nanakusa (the seven herbs of spring))
七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。
本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。
現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に”七草粥”が食べられるようになったと考えられる。
昔の七草
昔の七草とは、これ以下の「春の七種 (はるのななくさ)」や「秋の七種 (あきのななくさ)」と異なることを指す。
米・粟・キビ・ヒエ・ゴマ・小豆・蓑米(葟・ムツオレグサ)
春の七種
春の七種とは以下の7種類の植物である。
(「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)
この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。
呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。
囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。
七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれる。
正月最初の十二支概説に野原に出て若菜を摘む風習があった。
『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。
これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりである。
おそらく水田周辺で摘まれたと思われる。
歴史
中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。
日本でも古くから行われており、『延喜式』には餅粥(望粥・もちがゆ)という名称で七種粥が登場する。
餅粥は毎年1月15日 (旧暦)に行われ、粥に入れていたのは米・アワ・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・ゴマ・アズキの七種の穀物だった。
これを食すれば邪気を払えると考えられていた。
なお、餅粥の由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁式主水司に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。
この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。
その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。
現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう、四辻善成による『源氏物語』の注釈書)』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。
江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、江戸幕府では公式行事として、征夷大将軍以下全ての武士が七種粥を食べる儀礼を行っていた。
秋の七草
秋の七草は以下の7種の野草のことである。
山上憶良が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている(2首目は旋頭歌)。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
「朝貌の花」が何を指すかについては、アサガオ、ムクゲ(むくげ)、キキョウ、ヒルガオなど諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。
春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。
秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。
秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。
覚え方
“おすきなふくは”