京の伝統野菜 (Traditional Vegetables of Kyo)
京の伝統野菜(きょうのでんとうやさい)とは、京都府によって認定された野菜の品目の事で、1987年(昭和62年)の認定開始以来、現在まで41品目の野菜が認定されており、その中には、京の伝統野菜に準じる野菜の品目や、既に絶滅しまった野菜の品目も含まれる。
定義
京都に都が置かれていた明治維新以前からの生産されていた歴史を有する野菜の品目。
京都市域のみならず、京都府内全域で生産されている野菜の品目。
筍を含む。
キノコ類、シダ類(ぜんまい、わらび等)を除く。
種の保存の為にのみ栽培されている野菜の品目。
又は、栽培されてないものの種が保存されている野菜の品目。
及び絶滅した野菜の品目を含む。
辛味大根
京都市北区鷹峯が原産で元禄(1688)の頃から栽培されていたと言われる。
小蕪に似ているが、れっきとした大根である。
根に強い辛味がある、蕎麦の薬味等に使われる。
直径3~5cmくらいで、丸型。
青味大根
江戸時代の文化・文政(1804~29)の頃、今は絶滅した「郡大根」の変異種として生まれたと伝えられる。
直径1~1.5cm、長さ12~15cmの細い大根で、根は1、2回曲がって独特な形になる。
地上に出る首の部分が緑色をしている為「青味だいこん」と呼ばれている。
青味大根は昔からご祝儀用に欠かせないもので、吸い物の具や、青味の部分がキュウリの代用、刺身のつまに利用され、また漬物用として珍重された。
8月下旬~9月上旬に種播きし、11月~1月末に収穫。
京都市特産そ菜保存委託事業として、市内の3戸の農家が栽培を続け、種の自家採種をおこなっている。
時無大根
文政の初年度(1810から1820)紀伊郡東九条村(現在の南区東九条)の小山藤七という人が、当時極晩生種であった大根の種を得て、「藤七大根」という名で種を販売したのが源であるといわれている。
当時の大根は堀入で地上部に根部が露出する事なく、葉は著しく濃緑色で欠刻を有し、現在の時無大根に比べると、極めて晩生種であったと思われる。
葉は淡青緑色、深い切れこみがある直立性で、中肋の細かいのが特徴で、根部は先端が細まった尖円筒形をしており、太さ直径6~8cm、長さ45cm程である。
桃山大根
起源は定かでないが滋賀県と云われている。
伊吹山大根を大亀谷に移して栽培されたと言われ、肉質が緻密で漬け物栽培用として作られていたが、現在は需要が激減し種子保存用のみと言う。
聖護院大根
聖護院大根は蕪のような丸い大根で、京都の冬には欠かせ無い野菜である。
煮ると大変、軟らかく、味が染み込みやすく、通常の大根と比べると、倍以上の値の高級品である。
初めは、普通の長いダイコンで、誕生地は京都市東部の、左京区聖護院。
江戸時代後期の文政年間、聖護院の東の黒谷という場所に金戒光明寺という寺院が在り、この寺院に尾張から大根が奉納され、聖護院の農家がその大根を貰いうけ、何年も育てていると、何故か丸くなってしまったと言う。
これが聖護院大根である。
蕪
鹿ケ谷南瓜
鹿ヶ谷南瓜は、昔から京都では、「おかぼ」と呼ばれていて、 文化 (元号)年間(1804~1818)の頃、東山 (京都府)の百姓が、津軽に旅をした時、南瓜を持ち帰り、鹿ケ谷に住む他の百姓にその南瓜をやった所、百姓達は早速、自分の畑に植えて、栽培したのが始まりと云われる。
鹿ケ谷かぼちゃは、一般の南瓜と比べて、栄養価が高いのが特徴の瓢箪に似た形状の南瓜である。
海老芋
海老芋は、享保(1716~1736)の頃、東山 (京都府)の1つ、華頂山麓にある青蓮院の門跡が、九州を巡行し、海老のような縞模様の芋を持ち帰り、その芋を仕えていた平野権太夫が拝領して、同じ華頂山西側の小丘である円山の地で栽培したところ、海老のような反りと縞模様をもった質の良い芋ができたので、その姿から、海老芋と名付けられたと云われている。
芋としては、比較的原始的な性質を残している品種で、肉質は粉質で、粘り気に富み、よく締まった風味を持つ。
葉柄はサトイモ として食される。
京野菜としての人気の高まりから、京都以外に各地でも栽培されている。
煮物などに利用される。
慈姑
慈姑参照のこと。
京芹
・京筍(タケノコ:タケノコは一般種だが特別選定)
蓴菜
蓴菜参照のこと
郡大根
蕪
万願寺とうがらし
万願寺唐辛子参照のこと。