刺身 (Sashimi)
刺身(さしみ)とは、魚介類を生のまま切り、醤油・酢味噌などの調味料にワサビ・ショウガなどの薬味を合わせて食べる料理の総称である。
刺身は、その鮮度のよい食材そのものの味を最大限に利用した料理とも言われる。
和食に出される事が非常に多い日本の食事であり、日本国外でも食べられている。
概要
副食物(刺身の場合は「つま」という)として、繊六方(通称千六本)にしたダイコンや、大葉(シソ)、ハマボウフウなどの野菜、ワカメやトサカノリなどの海藻を添えることが多い。
また、馬刺し、鶏刺し、レバー (肝臓)刺し、こんにゃく刺し、タケノコ、生ゆばといった、肉や野菜、植物性食品など、魚介類以外のものであっても、生のまま切り身にした料理を刺身ということもある。
刺身前史
新鮮な獣や鳥の肉・魚を切り取って生のまま食べることは人類の歴史とともに始まったと言ってよいが、人類の住むそれぞれの環境に応じて、生食の習慣は或いは残り、或いは廃れていった。
日本は四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあった為、魚介類を生食する習慣が残った。
即ち「膾(漢字では「膾」、また「鱠」と書く)」である。
「なます」は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理です。
「なます」の語源は不明であるが、「なましし(生肉)」「なますき(生切)」が転じたという説がある。
一般には「生酢」と解されているが、それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。
この伝統的な「なます」が発展したものが刺身である。
なお、「鱠」はあくまでも文献上は古代中国の膾が先行するが、もともと原始的で単純な料理でもある。
その上、中国では海を化外の地(けがいのち)と呼び、忌み嫌う価値観が存在する事と、肉や野菜を生食する習慣は疫病の流行などで早くに廃れた。
従って、日本の「なます」は独自に発生、発達したと見るのが自然である。
刺身の登場
『鈴鹿家記』応永6年(1399年)6月10日の記事に「指身 鯉イリ酒ワサビ」とあるのが刺身の文献上の初出である。
醤油が普及する以前は、生姜酢や辛子酢、煎り酒(鰹節、梅干、日本酒、水、たまりを合わせて煮詰めたもの)など、なますで用いられる調味料がそのまま用いられた。
「切り身」ではなく「刺身」と呼ばれるようになった由来は、切り身にしてしまうと魚の種類が分からなくなるので、その魚の「尾ひれ」を切り身に刺して示したことからであるという。
一説には、「切る」を忌み言葉(いみことば)として避けて「刺す」を使ったためともいわれる。
いずれにせよ、ほどなくして刺身は食材を薄く切って盛り付け、食べる直前に調味料を付けて食べる料理として認識されるようになったらしく、『四条流庖丁道(しじょうりゅうほうちょうがき)』(宝徳元年・1489年)では、クラゲを切ったものや、果てはキジやヤマドリの塩漬けを湯で塩抜きし薄切りしたものまでも刺身と称している。
関西では江戸時代以降、「作り身」「お造り」などというようになったが、これは「作る」という動詞に調理するという意味があるため、魚の切り方を「-作り」という表現で示すようになったことによる。
ただし、原則として鯛などの海の物に限られていたようで、淡水魚の場合は関西でも「刺身」といったことが幕末の喜多川守貞『守貞謾稿(近世風俗志)』に記されている。
打ち身と刺身
刺身とよく似た料理に「打ち身」がある。
文献によっては刺身と混用されていることもあるが、こちらは総じて刺身よりも分厚く切り、盛り付けに鰭(ひれ)だけでなく皮や中落ちまでも利用するなど、調理法が極めて多彩かつ複雑であった。
しかし、対象となる魚の種類が鯛かコイに限られていたこともあり、より簡便な刺身が普及するにつれ、室町時代末期にはほとんど刺身と区別がつかなくなった。
江戸時代に入るとともに料理名としても廃れた。
近世~現代
料理としての刺身は、江戸時代に江戸の地で一気に花開いた。
そもそも京都は、コイのような淡水魚を除けば新鮮な魚介類が得られにくいため、いわゆる江戸前の新鮮な魚介類が豊富に手に入る江戸で、刺身のような鮮度のよい魚介類を必要とする料理が発達するのは当然のことであった。
幕末には、京阪は四季に関係なく鯛ばかりを使用している上、切り方から盛り付けまで乱雑である(『守貞漫稿』)と批判されるほどにまで差がついていた。
近代に入ると、流通の発達や冷蔵設備の普及、冷凍技術の発達に伴い、日本全国津々浦々で新鮮な刺身が食べられるようになった。
そして今では日本料理の代表格として、寿司とともに日本国外にも進出を果たし、「sashimi」で通じるほどにまでなっている。
英語圏の魚市場や魚屋では、生食出来得る品質の魚介類を指して「サシミ・クオリティー(Sashimi Quality)」と呼称・表示することも一般的となりつつある。
刺身の種類
作り方や切り方によって多彩な種類がある。
姿作り - 尾と頭をつけた状態で供する。
祝い事の席などで用いられることが多い。
平作り
薄作り
細作り
たたき
背越し作り
皮霜作り
洗い
生け作り(「活け造り」の表記も)
松皮作り
花作り
昆布じめ
中落ち - 背骨。
または周りの赤身を寄せ集めたもの。
中打ちとも。
かき身作り
類似の料理
寿司 - 酢飯と生魚の切り身を握る日本料理
烏賊そうめん - 生のイカを細かい麺のように切り身にしたもの
ルイベ - 生のシャケを冷凍し切り身にしたもの
海外の刺身に似た料理
刺身を生の魚の切り身とすると、日本以外でも伝統的に食べている地域、民族はある。
ホジェン族(ナナイ)
中国・ロシアのアムール川(黒龍江)流域やその付近に住むホジェン族(ナナイ)には、薄切りや細切りにした刺身を食べる伝統がある。
またルイベに似た凍った薄切りの刺身もある。
従来は味付けをしていなかったが、最近は醤油、酢などで味付けをして食べる。
客家
中国福建省の清流県や寧化県には客家が住んでいるが、ソウギョの刺身を食べる伝統がある。
味付けは、唐辛子、醤油、酢など。
近年は練りわさびも使われる。
ソウギョには有棘顎口虫が寄生している事が多く、生食は非常に危険であるが、この両県の渓流に棲むソウギョに限っては寄生していないといわれ、問題なく食べられ続けている。
広東省仏山市
中国広東省仏山市の順徳区や南海区周辺では、薄切りにしたソウギョなどの淡水魚または海水魚に、ネギ、ラッカセイ、ニンニク、唐辛子、ゴマなどの薬味をのせ、醤油や酢などで和えて食べる「魚生」(ユーサーン)という料理がある。
彩りよく盛るため「七彩魚生」(チャッチョイユーサーン)ともいう。
肝吸虫、有棘顎口虫などの寄生虫の問題があるため、衛生当局は生で食べないように呼びかけているが、相変わらず食べる地元民は多い。
日本の広東料理店では寄生虫の問題がほとんどない鯛などを使って作られる事が多い。
近年は香港の海鮮料理やヌーベルシノワの流行もあり、海水魚を使って出す店が中国でも増えており、また、伝統的な味付けにとらわれず、サラダドレッシング風のたれが使われる例も多くなった。
余熱が加わり、白くなるが、生の魚の切り身である「魚生」を熱々の粥に入れ、「魚生粥」(ユーサーンチョッ)として食べることは、広州市や香港でも行われている。
シンガポール、マレーシア
シンガポールやマレーシアの華人は、旧正月の、特に7日に「魚生」(ユーサーン)を食べる習慣がある。
七草粥ならぬ、「上七羹」(ションチャッカーン)という7種の材料を加える正月のスープと、広東省南海、順徳周辺の「七彩魚生」が合わさったものとも言われる料理で、ソウギョやサケなどの刺身の上に、ショウガ、ダイコン、柑橘類の皮などの細切りや落花生、小麦粉を揚げて作るフレークを乗せ、甘酸っぱい調味料を加える。
テーブルに出された後で、出席者が口々に「撈起」(ローヘイ)、「發」(ファーッ)などと唱えながら箸で混ぜ合ってから食べ、商売で儲かることを祈願するので、この食べ方は「撈魚生」(ローユーサーン)と呼ばれている。
企業や商店の新年会にも欠かせない料理でもある。
フィリピン
フィリピンでは「キニラウ」という生魚を用いる家庭料理がある。
カジキマグロや鰆などの海水魚を生のまま切り身にして酢でしめ、塩、生姜、カラマンシー(シークヮーサー)、玉葱、キュウリ、ココナッツミルクなどでマリネする。
漁師料理が一般化したもので、飲酒の際のおつまみという位置づけである。
ハワイ
ハワイには「ポケ(ポキ)」と呼ばれる刺身料理がある。
マグロやカツオなど赤身の魚が主であるが、日本から移民の影響でタコもよく用いられる。
南アメリカ
特に太平洋岸のペルーやチリで一般的に食される「セビチェ」という料理が有名。
地方によって若干調理法は異なるが、軽く湯引きした物や、マリネ状にしたもの、そのまま生のウニや白身魚のような魚介類を、ライムや塩、生姜などの薬味、チリソースなどと和えて食する。
単品で食したり、また色んな魚介類を混ぜ食したりと調理法は様々である(実際、調味料を醤油に変えれば、正味日本の刺身になるものもある)。
元々は南米に連れてこられた奴隷たちが、主人の目を盗んで、ばれないように陰に隠れて盗んだ魚介類をそのままライムや塩などをかけてガブついて腹に収めていた奴隷料理が起源と言われており、それが発展して現在の一般的な家庭料理になった。
元々新鮮衛生的な、おいしい魚介類が豊富に捕れる地域の料理であり、日本の刺身的な感覚で食せるため、当地に出張となった日本人サラリーマンなどに非常に重宝されている料理でもあり、南米のような場所でこういう生食ができることを意外に思う人も多い。
オランダ
オランダ人のニシン好きは有名で、オランダでは、ニシンをごく普通に生食する。
三枚に下ろしたニシンにレモンをかけてそのまま口に入れたり、サンドイッチにしたりと様々な方法で食される。
ニシンの生食を扱う屋台などもごく普通に町中にある。
イタリア
イタリア南部の漁師町では、手長エビを生のまま酢やレモンとオリーブオイルなどに漬け込み、いわゆるフランスの料理手法であるマリネにして食す場合もある。
世界の料理に取り込まれる刺身
20世紀には、刺身は各国の料理にも取り入れられることとなった。
1980年代になると、日本料理は欧米などでも流行し、各国の料理にも影響を与えるようになった。
イタリア料理と結びついた例では、イタリアでは牛肉を用いて作るカルパッチョをマグロなどの魚で作り、供される事が多くなっている。
ヨーロッパでは冷凍の刺身も簡単に購入できるようになっている。
日本が統治を行った台湾では、地元の海産物を使った刺身を食べる習慣が台湾人にも徐々に広まった。
台湾の俗語では「沙西米」(サシミ)と呼ばれており、日本食としての扱いであるが、夜店の屋台でも食べさせる例は多い。
クロマグロやカジキが好まれている。
大韓民国では刺身のことを「フェ(膾)」という。
もとは文字通り「なます」の意であったが、日本統治時代 (朝鮮)以前に日本風の刺身がプサン(釜山)に伝わり、日本統治時代 (朝鮮)以降は全土に広まって、日本風の刺身をも「フェ」というようになった。
今では一般的な料理として通用しているが、コチュジャンやニンニクを添えたりするなどの独自の変化を遂げている。
ユッケ、フェを参照。
中華人民共和国遼寧省の大連市周辺でも、日本の統治時代の影響で、ヒラメなどの海水魚の刺身や生ウニを食べる習慣が一部の中国人にも残された。
中国の中華料理店でも順徳魚生の様にたれや薬味と和えて食べる料理だけでなく、イセエビやサーモンなどを切り分けて、練りわさびをたっぷり入れた醤油につけて食べる事が一般的になっている。
問題点など
イメージ
「刺身」は、現在では海外でもそのまま”sashimi” で通じるようになってきているが、従来の一般的な英語訳は ”raw fish”(生魚)であった。
こうした翻訳の問題もあって、生の魚肉を食する習慣が無い地域では、「日本では魚などを生のままで食べている」という理解を取ることがある。
これは「気持ち悪い」という悪いイメージであり、生で食べることが良く思われていないことに因る。
「生」を「釣ったばかりで未調理の丸のままの魚」の意味にとられている場合もある。
不十分な知識による調理
ふぐの調理免許を取得せずに刺身にする、川魚、一部の貝類を刺身にするなどは事故が発生しやすい。
日本国外での危険
生で食べると食中毒や寄生虫に感染する危険がある。
もちろん伝統的に食されているものは、そのような危険性が低いからこそ食べられ続けているのである。
しかし、刺身に慣れた日本人が他国で刺身を求め、地元の料理人が伝統にない材料を刺身として提供し、そのような危険が生じる場合がある。
顎口虫症(がっこうちゅう)などはその例である。
生もの
鮮度の落ちやすい魚や鮮度が悪い魚、不衛生な調理では、食中毒や蕁麻疹、アナフィラキシーショックを発生させる危険がある。
体質
体質や生の魚肉に体が慣れていない一部の人が刺身を食べることによって、グリセリドなどの脂肪分を十分に分解できずに腹を下すなどの変調を起こすことがある。
魚介類以外の刺身
今日において、魚介類に限らず刺身のように切って形を整え、わさび醤油などで素材そのものの風味を食するものを刺身と呼ぶ場合がある。
主なものとしては以下の例がある。
こんにゃく
加工品としてのこんにゃくを短冊切りなどにしたものをわさび醤油や酢醤油、酢味噌などで食すものである。
湯葉
生湯葉を用い、わさび醤油、酢味噌などで食す。
蒲鉾
板付きの蒲鉾などをそのまま、短冊切りにしてわさび醤油などで食す。
居酒屋の酒肴として知られる板わさはその一種である。
肉類
新鮮な牛肉や馬肉は刺身で生食されるほか、鶏肉では笹身がよく用いられる。
そのほか、鯨肉なども刺身として知られた。
また、豚肉は寄生虫感染のリスクが高かったために、生食を行わないのが一般的であるが、茹で上げた身を「冷豚」「ゆで豚の刺身」などと称してわさび醤油、ポン酢などで食する料理がある。
アボカド
アボカドの果肉はトロに似た食感があるといわれ、ワサビ醤油で食することが慣習化され、アボカドの刺身などとして多くの料理本などに記載されている。