剣道 (Kendo (the Japanese art of fencing))

剣道(けんどう、劍道)とは日本古来の武術である剣術の竹刀稽古である撃剣を競技化した武道で、剣の理法の修練による人間形成を目的とする道または修行である。

呼称は、柔術に対する講道館の柔道を参考に、明治32年に武術再興のため設立した大日本武徳会が江戸時代以来の剣術や撃剣を学校の体育教育に採用できるよう稽古法を改め、大和心(大和魂)など精神修行とする(高野佐三郎の歌にも「剣道は神の教えの道なれば やまと心をみがくこの技」とある)ため、名称を大正8年(1919年)ごろ剣道としたという記録に残っており、明治末から大正初期ごろに成立したものらしい(なお剣道という用語は、例えば寛文7年(1667年)安倍立伝書に剣術は日用の術なので剣道という号にするという表現がみえるなど、江戸時代にも流派によっては使われたこともある)。

関連団体

国内は2団体、世界には1団体である。

全日本剣道連盟

日本の剣道国内競技団体。
日本体育協会、日本オリンピック委員会、国際剣道連盟に加盟。

国際剣道連盟 (International Kendo Federation, FIK)

1970年に設立。
以来、三年ごとに世界剣道選手権大会を開催している。
44の国内競技団体が加盟している(2003年7月現在)。
IOC公認団体GAISFに加盟。
IOC承認国際競技団体になることを目指している。

日本剣道協会

試合は竹刀を使った攻撃だけでなく、体当たり、足払い、組打ちも認めている。

全日本剣道連盟はJOC、国際剣道連盟はIOC傘下のGAISFに加盟をしているが、剣道のオリンピックの正式種目、公開種目化には首尾一貫して反対している立場を取っている。

試合形式(全日本剣道連盟)

剣道の試合は常に1対1で戦う。
これは団体戦の場合も同じである。
選手は試合場に入り二歩進んでお互いに礼をし、三歩進んで蹲踞したあと審判の「始め!」の声がかかってから立ち上がって勝敗が決するか規定の試合時間が経つまでお互いに技を出し合う。
原則として三本勝負であるが、一本勝負も認められている。

試合場

板張りの床に境界を含め1辺9mないし11mの正方形ないし長方形の試合場を作り、そこで試合をする。
境界は普通、白のラインテープを貼って分ける。
また、試合開始時の立ち居地は試合場中心付近に白のラインテープで示される。

試合時間

試合時間は5分、延長戦の場合には3分が基準である。
しかし、運営上の理由などからこれ以外の試合時間を採用することも認められており、公式大会の決勝戦では2007年より試合時間が10分へ変更された。


全ての技は、竹刀で防具 (剣道)の決められた箇所を打つものである。

小手を打つ技 小手打ち、引き小手打ち

面を打つ技 面打ち、引き面打ち、小手面打ち

面の喉当てを突く技 突き(小中学生は原則禁止。
高校生以上でも、この技を禁止とすることもある)

胴の胸当てを突く技 胸突き(以前は相手が上段の構えを取っている時のみ一本になった。
現在では相手が二刀流の場合のみ認められる)

胴の右側を打つ技 胴打ち、引き胴打ち 抜き胴

胴の左側を打つ技 逆胴打ち

これに、技を出す直前までの流れから「相(あい)〜」「抜き〜」「返し〜」「払い〜」「すり上げ〜」「引き〜」などの接頭辞が付く場合もある。

一本

一本とは全日本剣道連盟によれば、「充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの」である。
審判はこれに該当しているかどうかを判断して旗を挙げる。

反則

反則を一試合中に二回すると対戦相手の一本になる。
また、四回取ると2本になり、試合が終了する。

選手が場外に出た場合

選手が竹刀を落とした場合

着装が乱れている場合

面紐が40cm以上あった場合

柄より上を勝手に触った場合

審判員

3人の審判員(1人の主審、2人の副審からなる)が紅白の旗を持ち、旗を挙げることで有効打突の表示とする。
2人以上が有効打突の表示をした場合、もしくは1人の審判員が有効打突を表示し2人が判定の棄権を表示した場合、一本となる。

また、主審は次のどれかの場合、「止め」と言って紅白両方の旗を平行に揚げ、試合を中断させることができる。

選手が片手を『竹刀』から離して挙げ、審判に止めを求めたとき

選手が転倒した場合

反則があった場合

審判による判定の合議を行う場合(この際、審判は紅白両方の旗を右手に持ち、縦に掲げて「合議」と言う)

その他、審判が必要があると判断した場合

なお、中断は副審から申し出ることもできる。
その際に「止め」の声をかけるのは主審が行う。

鍔(つば)競り合いが長く続いた場合は両方の旗を前に突き出して「分かれ」の中断宣告を行い、その場で両者を分けてから直ちに試合を再開する。

勝敗

勝敗は、試合時間のうちに三本勝負の場合二本、一本勝負の場合一本先取した選手を勝ちとする。
また三本勝負において一方が一本を取り、そのままで試合時間が終了した場合にはその選手を勝ちとする。
試合時間内に勝敗が決しない場合には、延長戦を行い先に一本取った選手を勝ちとする。
延長の代わりに判定あるいは抽選によって勝敗を決する場合、あるいは引き分けとする場合もある。
判定および抽選の場合には勝者に一本が与えられる。
団体戦における代表戦も原則1本勝負である。

二刀流

剣道のルールでは、原則として二刀流は禁止されていないが、現在ではほぼ廃れている。

昭和初期において、学生の間で試合に勝つためだけの二刀流が横行し、団体戦において二刀流の剣士を防御一辺倒の引き分け要員とするなど姑息な手段が用いられたため、一部の学生の大会では二刀を禁止するようになった。
戦後、現代剣道が全日本剣道連盟のもとに復活した際も、学生剣道界では戦前に倣って二刀を禁止したために、二刀を学ぶ者が非常に少なくなってしまった。

ただし、伝統が断絶するのを危惧する声もあり、1992年(平成3年)大学剣道(公式試合・昇段審査)では解禁された。
しかし、全国高等学校体育連盟・日本中学校体育連盟の公式試合・昇段審査においては未だに禁止されており、また小学生においては片手で竹刀を用いての打突は一本として有効ではないとされるため、高校生以下では実質上禁止されているに等しい状況である。

二刀流の竹刀は大刀と小刀を用いる。
それぞれ長さと重さが決められており、男性の場合、大刀は3尺7寸以下(一刀の場合は3尺9寸以下)、小刀は2尺以下となっている。

長らく二刀流が否定されていたため、また上記の通り竹刀の長さ、および二刀流の相手に対しては胸突きが認められるというハンディがあるため、指導者、使用者とも少ないのが現状である。
公式大会への出場が確認されているのは1961年、63年、2007年のみである。

選手の服装

剣道着、『袴』を着用する。
基本的に裸足であるが、選手によっては足袋を着用するものもいる。
試合、稽古を行う際は原則的に鎧として垂れ、胴、面、籠手の剣道具を着用する。
その他、なぎなたとの異種試合の際は、すね当ての着用も必要となる。
面を着用する際には、頭に手拭(面手拭い、面タオル)を巻き付けるのが一般的。
垂れには通常名前や所属する道場名などの記されたゼッケンを付ける。
足袋は試合の時も許可を得れば使用可能であることが一般的である。
また、試合時には識別用として背中(胴紐の交差部)に紅白それぞれのたすきを付ける。

明治

明治28年(1895年)

明治28年(1895年)「大日本武徳会」が創立され、剣術のみならず各種の伝統武術の振興がなされた。

明治38年(1905年)8月、大日本武徳会、京都に武術教員養成所を設置

明治44年(1911年)武術教員養成所を武術専門学校と改称

旧制中学校で撃剣を正課として採用可能となった。

明治45年(1912年)武術専門学校認可(大正8年に『武道専門学校』と改称)

剣道の誕生(大正〜昭和(敗戦まで))

1920年(大正8年)大日本武徳会は剣術を『剣道』と名称を改めた。

以後、敗戦に至るまで剣道は国民的に浸透し隆盛した。
全国大会、天覧試合(天皇が観戦する大会)も3回行われ多くの集客があった。

昭和4年5月、第一回剣道天覧試合(優勝、指定・持田、府県・横山)

昭和9年5月、第二回剣道天覧試合(優勝、指定・山本、府県・野間)

昭和15年6月、紀元二千六百年記念行事剣道天覧試合(優勝、指定・増田、府県・望月)

日本が大日本帝国として欧米列強に力で対抗しようと国民皆兵を進めてゆく時、古来の剣術の習得を簡便にしたものとしての剣道が旧士族の武士ではない旧制中学生に習得され広まったことは、国民の精神に影響を与えた。

一方で、剣道の戦闘方法に精神美を求め至上の価値を置く「復興された武士道」思想は、日本人が近代戦を本質的に理解することを妨げた。
これは第二次世界大戦時においての万歳突撃、玉砕等に見られる幾つかの悲劇を招いた遠因ともなった。

現代(第二次世界大戦後)

昭和20年(1945年)11月6日、連合国軍最高司令官総司令部が学校の剣道を禁止した(GHQ武道禁止策)。

昭和21年8月25日、社会体育の剣道を制限。

昭和21年~昭和22年、大日本武徳会解散、関係者の公職追放1,300余名。

昭和25年(1950年)3月5日、全日本剣道競技連盟創立。
改称し全日本撓(しない)競技連盟へ。

昭和26年(1951年)5月4日、東京日比谷公園で第一回全国しない競技大会。

昭和27年(1952年)10月14日、全日本剣道連盟が結成される。
占領終了により剣道禁令の解除。

昭和28年(1953年)1月23日、毎日新聞に学校の新学期からしない競技を実施との記事。
第一回全日本剣道選手権開催。

昭和28年(1953年)5月19日、文部省、剣道に対し社会体育の制限を解除。

昭和29年(1954年)3月14日、全日本しない競技連盟と全日本剣道連盟とが合同して全日本剣道連盟へ。

昭和32年(1957年)5月20日、しない競技と剣道を統合し中学校、高等学校で正課体育可能に。

段級位制

剣道の段級位制には、六級〜一級までの級、初段、弐段、参段、四段、五段、六段、七段、八段までの段位がある。

段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」、称号は「これに加え指導力や、識見などを備えた剣道人としての完成度」を示すものとして、審査(選考会)を経て授与される。

級位・段位審査会の主催団体規模は段級位によって異なる。
六級から一級までは市町村単位の支部剣道連盟が主催して審査をする。
初段から五段までは、都道府県の剣道連盟が主催し審査をする。
多くの場合、初段から三段までは、その都道府県を幾つかの地区に分けて、その都道府県の下部組織である、各支部で合同して審査をする形が多い(四段・五段は1ヶ所で審査)。
また、三段審査や四段審査に関しては、高等学校剣道専門部や大学連盟で、一般の審査会と独立して行われることがある。

六段以降は全日本剣道連盟が一括に主催して行う。
六段以降になると、段位合格者名が大手剣道専門雑誌の「剣道日本」や「剣道時代」に掲載される。
年間の審査会開催回数は段位ごとに異なるが、六段が8回程度、七段が6回程度、八段が4回程度である。
また、審査会は東京をはじめ、京都など全国の主要都市などで行われる。

また、各級・段位は年齢制限及び各種条件がある。
六級~一級までは、ほとんどが段位の受審資格がない小学生が取得している。
中学生以上対象の昇級審査会に受審し、合格するとその時点で一級が授与される。
一級受有時点で中学2年以上の場合は次の昇段審査(3ヶ月以上後に実施)で初段を受審することが可能だが、中学1年の場合は年齢制限により受有後1年間は昇段審査を受審することができない。

六級~三級は、受審条件及び年齢制限はない。
一級と二級は小学6年生以上が受審資格を有する。

「剣道称号・段位審査規則」 平成17年3月23日一部改正、平成17年4月1日より施行 全日本剣道連盟

一般的に、各段位の平均合格率が異なる。
初段は約80~90%、二段は約60~70%、三段は約40~50%、四段は約30~45%、五段は約20~30%である。

また、六段以降は更に合格率が下がり、六段は約10%、七段は約8~10%、最高位の八段となると僅か1%という狭き門となる。

称号

上記に記した段位・級位のほか、錬士、教士、範士の3つの称号がある。
六段〜八段の高段位者のみ受審資格があり、いずれも加盟団体会長の推薦が必要である。

称号を取得した後は、例えば錬士六段、範士八段のように、段位の前に称号を名乗ることになっている。

十段位制・称号

2005年3月の審査規則改正前は、九段および十段が存在した。
また、五段受有者から教士の受審資格が、七段受有者から範士の受審資格があった。
このため、現行の制度ではなることのできない練士五段や範士七段などが存在した。
しかし「範士が剣道界の最高峰である」ことを改めて確立するため、また範士が八段受有者の年功序列によって授与されていたことの反省から、九段および十段は廃止され、各称号の審査基準が上の表のように見直された。
ただし既に取得されたものは段位として有効である。
また、現行でも範士の称号においては剣道特有の年功序列のようなものが存在しているとされる。

剣道禁止期間

敗戦後(昭和20年から)、剣道を含む武道全般が連合国軍最高司令官総司令部により全面的に禁止とされた。
この間は、諸道場はもちろん、学校などでも剣道を行うことはできなかった(一部ではひそかにやっていたと思われる)。
この期間中に剣道を何とか復活させようと愛好者たちが策を練った末に、剣道の要素を取り込んだ撓競技(しないきょうぎ)が生まれ、次第に普及していった。
禁止令はGHQの占領終了とともに解除され、剣道と撓競技は合体して今日に至っている。

剣道の起源の剽窃・捏造問題

一部韓国関係者の主張に、剣道の始祖は韓国版の剣道コムドとあるが、その韓国側のソースをネットにて公開した際、多くの捏造点が認められ、完全に否定されている。

また、この剣道の起源剽窃問題は全日本剣道連盟()にて取り上げられ、日本起源であるという事実を国際的に広報すべく英語版Webサイトに掲載された。

[English Translation]