和時計 (Japanese clock)
和時計(わどけい)とは、江戸時代を中心に日本で作られた時計である。
日本に初めて器械時計が持ち込まれたのは1551年(天文20年)フランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したのが最初とされている。
当時より国産化へ向けての取り組みが為されていたものと思われる。
1605年(慶長10年)津田助左衛門政之が、徳川家康に自鳴鐘を献上。
徳川幕府により御時計師と呼ばれる時計技術者が誕生し、ここに和時計の歴史が始まる。
特徴として、一般の時計が1日を24等分した時刻法の定時法を原則としている。
それに対し、季節によって変化する太陽の天体の出没の間をそれぞれ6等分した不定時法を前提として製作されている。
なお厳密には、江戸時代においては毎日昼と夜の長さを変えていた訳でなく、15日毎の変更になっていたので、時計の仕掛けもそれに合わせられた。
時計の進む速度は基本として一定なので、15日ごとに時計の文字盤をはめ変える方式(割駒式文字盤)のものと、昼用と夜用の2種類の天符(おもり)を使用し、昼と夜の境(明六つ、暮六つ)ごとにそれぞれが自動的に切り替わる方式のもの(二丁天符)が存在した。
しかしながら、どちらの方式であっても15日ごとの時間変更は人間が調整する必要がある。
しかしながら、画像の万年時計は、文字盤の時間を表す文字の位置が全自動で変化する。
これは、他に類を見ない画期的な機構が取られている。
当時、時計は高級品であり持つのは富裕な人が多かっため、装飾が施されたものも多く作られた。
また、種類も掛時計・櫓時計・台時計・尺時計・枕時計・卓上時計・卦算時計・印籠時計・懐中時計など豊富に存在した。
アラームやからくりを付けたものもあった。
尺時計とは、短冊形をした箱の上部に取り付けられたおもりが箱の中の機械を動かし、おもりに付いた針が箱の目盛を指す。
これは、日本独特の時計技術である。