和田合戦女舞鶴 (Wadagassen Onna Maizuru)
和田合戦女舞鶴(わだがっせんおんなまいづる)は歌舞伎の演目。
1736年(元文元年)3月4日、大坂豊竹座にて初演。
全五段の人形浄瑠璃。
作者は並木宗輔。
初演から二ケ月後、歌舞伎にもとり入れられた。
現在は二段目「藤沢入道館」の後半部が「板額門破りの場」として残されている。
あらすじ
鎌倉三代将軍源実朝のころ、逆臣の藤沢入道・四郎父子の策略で、有力御家人の北条義時と和田常盛との軋轢が強まっている。
そんな騒然とした中、荏柄平太が実朝の妹斎姫を入道館で殺害し行方知れずとなる。
調査のため阿佐利与市が妻板額とともに現場に急行するが、入道側は板額が平太の従妹であるという理由で館内に入るのを許さない。
平太はその場で板額を離縁する。
なおも疑う入道側の態度に怒った板額は持ち前の怪力で門を打ち破り、夫を中に入れる。
その後、板額は四郎率いる入道側の郎党と大立ち回りを演じる。
概略
和田義盛の郎党朝比奈義秀の門破りの俗説と、近松門左衛門の「悦賀楽平太」などの先行作をもとに創作された。
現行の段のほか、平太の子公暁が実朝の隠し子であることを知った板額が、わが子市若を身代わりに立てる三段目「市若身替り」と、鶴が岡別当阿闍利のコミカルな演技で、滑稽な場を「チャリ場」と呼ぶきっかけとなった四段目などが知られる。
女形の荒事
門を破壊する荒事を女形が演じるのが眼目である。
ヒロイン板額は「面はさほど見苦しゅうもござれども、関取相撲を見るやうな大丈夫、力の強いばかりが取り得」と原作の浄瑠璃にあるごとく歌舞伎の中でも有数の力の或る女性である。
板額は離縁されたのち「・・・去られた女房は三界に家なし、家が無ければ主もなし。誰に憚り遠慮せん。」の台詞と「たとえこの門磐石にて固めるとも、夫思いの我が念力、やわか通さでおくべきかと」という浄瑠璃の詞に乗り、夫に会釈ののちもみ手をして門前に行き、懐紙で門にあてて押すという演じ方が伝わっている。
女形の心得を失わずにバイオレンスな演技をするところにこの役の難しさがある。
かつてはもっと大暴れする演出もあった。
特殊な女形の演技なので、市川團十郎 (9代目)、市川中車 (7代目)、尾上多見蔵 (3代目)など立役が演じることが多かった。
戦後は中村歌右衛門 (6代目)、澤村宗十郎 (9代目)などが得意とした。
勇ましい演技をする女形を歌舞伎では「女武道」とよび、板額はその代表的な役柄である。
團十郎は活歴物に凝っていたので、下げ髪の鬘、萌黄色の腹巻という扮装で薙刀を持つというものであった。
現行のは片はずし、緋色の綸子に打掛、白色の平ぐけという丸本時代物の扮装である。
その他
からみの脇役も腕達者が必要である。
とくに板額にやり込められる藤沢四郎は、板額の怪力に震えながらも花四天の郎党を引き連れて、下座の音楽に乗ってノリ地で門尽くしの台詞を述べるなど、道化じみた端敵の性格で劇を盛り上げている。
門尽くしの台詞:
「ヤア。ヤア、板額。」
「・・・うぬが力の自慢顔、あかずの門をば腹太鼓、雷門の落ちるよな。」
「がらがらぴっしゃり破られては、筋鉄門でも金門でも、にゃんとも言わぬ猫の門、これでは老門しようがない。」
「うぬその儘に帰りなば、一家一門たたりが行く、討手に参った某を、山門とも思わずに、穴門すったるのほうず門、身共が仁王門になればよし、いやじゃなんぞともんすが最後、おのが命を寅の門、もんもがいても、もん叶わぬ、首を渡すか腕廻すか、返答はサア、サア、・・・・南門、南門。」