土用の丑の日 (Doyo no Ushi no Hi (The Ox Day During 'Doyo'))
土用の丑の日(どようのうしのひ)は、土用の間で日の十二支が丑である日のこと。
夏の土用の丑の日は、暑い時期を乗り切る栄養をつける為に、ウナギを食べる習慣がある。
土用の間に丑の日が2回ある場合があり、2回目を二の丑という。
一般には土用の丑の日といえば夏を指すが、土用は春、夏、秋、冬の年4回あり、土用の丑の日は年に数回ある事になる。
近年、ウナギの人口当たり消費量上位に位置する長野県岡谷市を中心として寒の土用の丑の日にも鰻を食べようというキャンペーンが展開されている。
2004年~2011年の夏の土用の丑の日
2004年
- 7月21日 8月2日
2005年
- 7月28日
2006年
- 7月23日 8月4日
2007年
- 7月30日
2008年
- 7月24日 8月5日
2009年
- 7月19日 7月31日
2010年
- 7月26日
2011年
- 7月21日 8月2日
二の丑
前節でもわかるとおり、土用の丑の日が2回となる場合が多々ある。
夏の土用は平気法では立秋の前の18日間、近年用いられている定気法では黄道座標が117度から135度までと定義され、約18日間ということになる。
18日間として考えると土用入りの日から6日以内に丑の日があると(すなわち土用入りの日が申から丑の間の場合)もう一度丑の日が巡って来る。
これが二の丑であり、約2年に1回の割合である。
鰻を食べる由来
鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。
これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。
それによると、こういう話だ。
商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。
源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。
その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。
この民間伝承を根拠とするならば、土用の丑の日に食べるものは鰻でなく「う」の付くものでいいのだから、うどんでもうどでもいいことになる。
鰻を食べるのが主流となったのは確固とした由緒由来が有るわけではなく、バレンタインデーのチョコレートや節分の恵方巻きなどと同様、現代でいうコマーシャリズムの産物といえよう。
ただし鰻にはビタミンB類が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果が期待できる。
そういった面から鑑みると、当時夏の時期に鰻を食べたのは理に適った習慣であるともいえる。
その他の説
春木屋善兵衛説 - 同じ文政年間(1818 - 1829)の『江戸買物独案内』によると、土用に大量の蒲焼の注文を受けた鰻屋、春木屋善兵衛が、子の日、丑の日、寅の日の3日間で作って土甕に入れて保存しておいた。
そのうち、丑の日に作った物だけが悪くなっていなかったから、という説。
蜀山人説 - やや時代が下がった天保10年(1839年)の『天保佳話』(劉会山大辺甫篇)では、やはり鰻屋に相談をもちかけられた蜀山人こと太田南畝が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話が載せられている。
丑=鰻二匹説 - 平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたからと言う説。
最近の動き
鰻の養殖業者らが中心となって、夏以外の土用の丑の日にも鰻を食べる習慣を普及させようという動きがある。
スーパーやコンビニでもこの動きが見られる。
土用は季節の変わり目でもあるため、栄養価の高いウナギを食べて精を付けようという趣旨に一応の妥当性はある。
中国産ウナギの安全性が問題視され、2007年はウナギの売上が激減した。
(中国産食品の安全性も参照のこと)