宗和流 (Sowa-ryu School (a school of Tea Ceremony))
宗和流 (そうわりゅう)は、茶道の流派の一つ。
歴史
金森宗和の祖父金森長近は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた武将で、千利休に茶を学んだ。
父で長近の養子の金森可重もまた千道安に学び茶の湯に秀でていた。
初代金森宗和ははじめは可重の嫡子として高山藩にあったが、廃嫡となり宇治・京都に移って茶の湯に専念する。
最初は父譲りの道安の流れを汲んでいたと思われるが、古田重然や小堀遠州の影響を受けながら後水尾天皇をはじめ公家との交流のなかで「姫宗和」と呼ばれる優美な茶風を築きあげた。
加賀藩3代藩主前田利常より召し抱えの意があったが、宗和はこれを辞して2代七之助方氏が出仕した。
これより代々、金森家は金沢にあって加賀藩に仕え1700石を領した。
7代知直の時に金森家は一時断絶となり、推挙により多賀直昌が宗家を継承することになった。
8代多賀直昌は5000石を賜っていたが、宗家継承に際し隠居して茶道に専念した。
彼は中興と称されている。
金森家は後に知直の実子である金森信之によって再興されたが、明治以降のことは不明である。
また宗和の門人である和泉国陶器藩主小出三尹に宗和の妹が嫁いだことから、陶器藩および高山藩でも宗和流が行われた。
高山藩が天領に転じて後は寺院を中心に伝承されて現在に至っている。