手鞠歌 (Temariuta)
手鞠歌(てまりうた、手まり歌、手まり唄、手毬歌、手毬唄などとも表記)は、少女たちが手まりをつきながら歌った童歌、遊び歌の一種である。
手鞠とは、当初は、芯に糸を巻いただけの物であったが、16世紀末頃より、芯にぜんまい綿などを巻き弾性の高い球体を作り、それを美しい糸で幾何学的に巻いて作られた江戸時代からの玩具。
これらのまりは、非常に弾性が高くてよく弾み、正月の日の遊びとして少女らが地について遊んだ(例えば野球の硬球も中はコルクに糸を巻き付けたものを革で包んだ物である)。
明治の中期頃からゴムが安価になり、よく弾むゴムまりがおもちゃとして普及してからは、正月だけでなく通年の遊びとなった。
そのリズミカルな運動にあわせた、さまざまな歌が作られ、童歌として各地に伝わる。
なお、江戸時代から遊郭などには手毬歌なるものがあったが、日露戦争や、明治中・後期に話題になった文芸作品に題材を取ったものが多く残るのは、子供の遊びとして広く普及してからと思われる。
歌の最後でスカートで手まりを隠したり、後ろ手に取ったりなど様々な「フィニッシュ」をとることが多い。
1950年代までは、路地で手まり歌を歌いながら毬をつく少女の姿が見られたものだが、路地にも車が入るようになり、また、テレビが普及して、子供が戸外で遊ぶことが少なくなったことから、今ではほとんど忘れられている。
代表的な手まり歌
あんたがたどこさ
一番はじめは一の宮
京の手まり歌(丸竹夷)
まるたけえびすに おしおいけ、あねさんろっかく たこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう、せったちゃらちゃらうおのたな、ろくじょうひっちょうとおりすぎ、はっちょうこえればとうじみち、くじょうおうじでとどめさす
丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池、姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦・四条・綾小路・佛小路・高辻・松原・万寿寺・五条、雪駄屋町(今の楊梅通)・魚の棚、六条、七条・八条・九条の横の通りをうたう。
なお、様々なバージョンが存在し、これが正しいというものではない。
一列談判
一列談判は1950年代頃までよく歌われていた東京の手まり歌。
イチ、ニ、サ、シ…と各句の頭に数字を読み込んだ数え歌の形をとっている。
「一列」は意味不明だが、「一月」(日露開戦直前の1904年1月に最後の交渉が決裂したことを指す)の転訛とも、「日列」(=日本対列強)の転訛ともいう。
一列談判破裂して、日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシヤの兵、死んでも尽すは日本の兵
五万の兵を引き連れて、六人残して皆殺し
七月十日の戦いに、ハルビンまでも攻め破り
アレクセイ・クロパトキンの首を取り、東郷平八郎万々歳