東海道中膝栗毛 (Tokaidochu Hizakurige (Foot Travelers along the Tokai-do Road))
東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化 (元号)11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。
後続の『続膝栗毛』は、1810年(文化7年)から1822年(文政5年)にかけて刊行された。
大当たりして、今に至るまで読みつがれている。
主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。
あらすじ
『栗毛』は栗色の馬。
『膝栗毛』とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。
江戸八丁堀 (東京都中央区)の住人栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)が、厄落としに伊勢神宮を思い立ち、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる。
道中の二人は、狂歌・駄洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働き失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。
経緯
一九は寛政7年(1795年)から、職業作家として多くの黄表紙ほかを出していたが、まだ大ヒットはなかった。
この滑稽本の初編は、享和2年(1802年)正月に、村田屋治郎兵衛が出版した。
一九が、挿絵を描き、版下の清書もするという安直さに、乗ったらしい。
当たったので、翌年、続編を出した。
書名はそれぞれ『浮世道中 膝栗毛』『道中膝栗毛 後篇 乾坤』で、『東海道中 膝栗毛』の外題になったのは、つぎの第3編からであった。
そして、『東海道中』シリーズは、文化6年(1809年)の第8編(大阪見物)で一段落したが、文化11年(1814年)に、旅立ちの発端(はじまり)の編が、追いかけて出された。
序編が、最後に書かれたのである。
一九は、頻繁に取材の旅をした。
しかし、京都は未見で、「名所図絵」などによったのではと言われる。
狂歌が多くはさまれている。
狂言、浄瑠璃、歌舞伎、浮世草子、落語、川柳などに関する彼の素養が、篇中に生かされている。
長編としての一貫性がととのっているとは、言い難い。
一九はさらに『続膝栗毛』シリーズを書き、弥次喜多は、金刀比羅宮、厳島神社、木曽地域、善光寺、草津温泉、中山道へと膝栗毛し、21年後にようやく完結した。
出版の経年的なデータを、初刷本のデータにまとめる。
版元は、第4編まで『通油町 村田屋治郎兵衛』であった。
しかし、第5 - 8編には、江戸の『本石町二丁目 西村源六』・『通油町 靏(鶴)屋喜右衛門』と、大阪の『心斎橋唐物町 河内屋太助』も加わった。
後発の『発端』のそれは、『馬喰町二丁目角 西村屋與八』であった。
『通油町』は、現在の中央区 (東京都)日本橋大伝馬町である。
挿絵は、『発端』の喜多川式麿のほかは、ほとんど一九の自画である。
文化6年(1809年)発行の第8編末の広告に、「版木が減ったので、初編を再板」する旨が、すでに記されている。
ヒット作ゆえに、古版木を加工したり、版木を彫りなおしたりの異本は多かった。
文久2年(1862年)の改版が知られ、その後も翻刻が重ねられて来た。