松井友閑 (MATSUI Yukan)
松井 友閑(まつい ゆうかん)は安土桃山時代(戦国時代 (日本))の文官。
出身地については諸説ある。
信長公記の記載より尾張国清洲の町人出身と推定されている。
しかしルイス・フロイスは友閑のことを「以前に仏僧であり」と記しており、出自に謎は残る。
永禄11年(1568年)の織田信長入京後には京畿の政務にあたり、織田家の右筆に任じられている。
京都や堺市の豪商らに接触して名物の茶器などを供出させた。
天正3年(1575年)には堺の代官に任じられた。
この頃になると堺の豪商・津田宗及とも親交を深めた。
織田家では主に財務などを担当したが外交能力にも長け、本願寺との和睦工作にも奔走している。
本能寺の変後は豊臣秀吉に接近し、堺の代官として以後も活躍する。
しかし天正14年(1586年)に突然罷免され、その後の消息は不明である。