硯 (Suzuri (ink stone))
硯(すずり)とは、墨を水で磨り卸す為に使う、石・瓦等で作った文房具である。
中国では紙・筆・墨と共に文房四宝のひとつとされる。
硯及び附属する道具を収める箱を硯箱といい、古来優れた工芸品が多数ある。
一般に硯箱は、桐や花梨でできているものが多い。
概説
現代では、石等を研磨し平たくしたものを用いる。
墨を磨る為に表面に細かく目を立たせている。
墨を溜める為の薄い窪みを海、墨を磨る為の少し高い部分を陸という。
現代の日本の硯の材料は、宮城県石巻市で採れる雄勝石や三重県熊野市で採れる那智黒石等、玄晶石(粘板岩)である。
この様な硯の成立は墨より遅い。
古代には乳鉢の様なもので墨を砥いで粉末状にして用いた。
六朝時代に、現在の形の硯が登場する。
最初は陶磁器が用いられた。
六朝時代の終わりに石製の硯が登場し、唐代に普及した。
日本の硯は古墳時代からある。
初め専ら陶製で、中には杯や甕の底を再利用したものもあった。
石製の硯は11世紀から見られるようになった。
職人が硯を作るときには、墨を入れる海ともりあがっている陸の間の、滑らかなカーブ状の場所を削るのが、最も苦労する場所となる。
硯の種類
産地、材質、形式、彫刻の模様などにより様々な種類の硯があるが、中でも端溪硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうじゅうけん)が有名である。
広くは使用されていないが、桃河緑石や松花石硯など、ピンキリだが上級品は大変墨の降り・発墨に優れている。
大変高価に取引されるものもある。
端溪硯
中国広東省広州市の西方100kmほどのところに、肇慶(ちょうけい)という町がある。
この町は西江という河に臨んでいて、東に斧柯山(ふかざん)がそびえる。
この岩山の間を曲がりくねって流れ、西江に注ぐ谷川を端溪(たんけい)という。
深山幽谷と形容される美しいこの場所で端溪硯の原石が掘り出される。
端溪の石が硯に使われるようになったのは唐からで、宋 (王朝)に量産されるようになって一躍有名になった。
紫色を基調にした美しい石で、石の中の淡緑色の斑点を「眼(がん)」という。
鳥の眼のようなこの模様は虫の化石であり、実用には関係ないものだが大変珍重される。
端溪の石は細かい彫刻にも向き、様々な意匠の彫刻を施した硯が多く見られる。
端溪硯の価値は、眼の有無、彫刻の精巧さ、色合い、模様などによるものである。
いずれも骨董的な価値である。
歙州硯
端溪硯と並び称される名硯に歙州硯がある。
この硯の原石は南京市の南200kmの歙県から掘り出される。
付近には観光地として知られる黄山があり、この辺りは奇怪な岩石の峰が無数に林立する山岳地帯である。
歙県はその黄山の南に位置し、昔は歙州(きゅうじゅう)と言った。
歙州硯は端溪の女性的な艶やかさに比べ蒼みを帯びた黒色で、男性的な重厚さと抜群の質を持つ。
比重は重く、たたくと端溪よりも金属的な高い音がする。
石質は硬く、層をなしているので細かい彫刻には向かない。
磨り味は端溪の滑らかさと違って、鋭く豪快に実によくおり、墨色も真っ黒になる。
この硯は、うす絹を2枚重ねた時にあらわれる波のような模様、「羅紋(らもん)」が特徴である。
硯の手入れ
硯は半永久的に使えるものであるが、そのためには手入れが必要である。
鋒鋩を立てる
硯は使っているとだんだん磨り減って、ついにはツルツルになってくる。
こうなると墨が磨れないので、硯用の砥石で硯面をとぐ。
これを鋒鋩(ほうぼう、刀のさきの意)を立てるという。
硯面に光をあてるとキラキラと光る細かい宝石のような粒が見える。
これが鋒鋩であり、これで墨が磨れる。
この鋒鋩が細かく密に、そして均一に散りばめられているほど墨色は美しく出る。
そして鋒鋩が鋭く強いほど墨は早く磨れる。
きれいに洗う
硯を使ったら必ず隅々まできれいに洗う。
宿墨(古い墨)を残しておくと新しく磨った墨も腐ってしまう。
また磨った墨を硯の上に放置してはいけない。
良い硯ほど墨が貼り付いてしまい、無理に取ろうとすると硯の面が剥がれてしまう。