祭典競馬 (Saiten keiba (horse racing festival))
祭典競馬(さいてんけいば)とは、神社などの祭典において、奉納や余興のために開催された競馬のことをいう。
歴史
祭典競馬の歴史は、記録上平安時代にまで遡ることができる。
日本における祭典競馬の伝統的な形式は、数百メートルの直線形の馬場を用い、2頭のウマのマッチレースを行ったり、騎射を行ったりするというものであった。
そのような祭典競馬としては、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の賀茂競馬(毎年5月に催される)が現在に残っている。
1861年以降、横浜市の外国人居留地で西洋式の競馬(近代競馬)が盛んに行われるようになった。
その形式は楕円形の馬場と3頭以上の馬を用いてレースを行うというものであり、まもなく日本人によって日本各地で近代競馬が模倣されるようになったが、そのための場として祭典競馬が盛んに利用された。
1870年に東京都九段の招魂社において兵部省が主催した競馬は、そうしたケースのさきがけである。
明治以降も地方、とくに馬の生産を行っていた地域においては祭典競馬が盛んに行われた
それらの中には近代競馬の要素を取り入れたものもあったが、伝統的な形式によるものも数多くあった。
1910年の改正競馬規程によって公認競馬以外の競馬は産牛馬組合またはまたは馬匹の改良増殖を目的とする団体が地方長官の許可を得なければ行うことはできないとされた際も、地域の娯楽のために行われる祭典競馬については規制対象から除外された。
また、それらの団体が地方長官の許可を得て行う競馬であっても、地域の祭典の時期にあわせて開催されるケースが多かった。
1927年に地方競馬規則が公布され、公認競馬以外の競馬が地方競馬として行われるようになって以降は、同法が施設や主催者など競馬開催のための要件を細かく規定していたために、近代競馬形式による祭典競馬は次第に姿を消していった。
しかし競馬規程下の産牛馬組合による競馬と同じく、地方競馬を地域の祭典の日程にあわせて行う地域も数多くあり、そのような地方競馬は歴史的・文化的にみて祭典競馬の流れを汲み、あるいは密接なつながりをもつといえる。
また前述賀茂競馬のような神事としての祭典競馬は現在も行われている。