稲荷寿司 (Inarizushi)
稲荷寿司(いなりずし)は、油揚げの中に飯を詰めた寿司。
稲荷鮨とも書く。
概要
甘くあるいは甘辛く煮付けた油揚げを袋状に開き、寿司飯(酢飯)をそのまま、あるいはニンジンやシイタケなどの具材を混ぜ込んで詰める。
もっと具だくさんの、いわゆる「ちらし寿司」を詰めることもある。
米俵に模して四角に仕上げる。
いわゆる高級な寿司屋ではあまり見られないが、庶民的な店やテイクアウト専門の寿司屋では人気の寿司。
行楽の弁当などにも良く登場する。
稲荷寿司と海苔巻きを組み合わせた折り詰めは助六寿司と呼ばれる。
歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」の主人公、助六の愛人の名が揚巻であることから、 油揚げとのり巻きの洒落から名付けられている。
各地の稲荷寿司
埼玉県熊谷市(旧・大里郡妻沼町)名物の稲荷寿司(歓喜院 (熊谷市)聖天寿司)は通常の倍ほどの長径がある。
これは江戸時代のいなり寿司の形を反映しているとされている。
西日本ではお稲荷さん(おいなりさん)という呼び方も一般的で「揚寿司(あげずし)」と呼ばれることもある。
近畿地方の年配者には「しのだ寿司」、「信太鮨」、「信田鮨」、「信田寿司」と呼ばれることもある。
西日本ではごまなどの具材の入った稲荷寿司(五目稲荷ともいう)が多いとされる。
その上から煮あげた干瓢などで縛ることもある。
キツネの耳に模して三角形に仕上げたものが主流とされている。
歴史
稲荷寿司に関する最古の史料として江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』があり、下記のようにと記載されている。
「天保(1830年~1844年)末年、江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、キノコかんぴょうを刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。」
「(中略)なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。」
「最も賤価鮨なり。」
「尾張国の名古屋等、従来これあり。」
「江戸も天保前より店売りにはこれあるか。」
『天言筆記』(明治成立)には飯や豆腐ガラ(オカラ)などを詰めてワサビ醤油で食べるとあり、「はなはだ下直」ともある。
『近世商売尽狂歌合』(1852年)の挿絵には、今日ではみられない細長い稲荷ずしを、切り売りする屋台の様子が描かれている。
本来、稲荷神は狐ではないが、江戸時代には俗信により同化とみなす向きがあった。
これにより、稲荷神の神使である狐の好物が油揚げであるという言い伝えからその名がつき、最も安い寿司として天保の末期には江戸や名古屋で食べられていたと考えられている。