端唄 (Hauta)

端唄(はうた)は、もともと長唄に対する端歌である。
元禄年間に刊行された「松の葉」あたりからこの名がみえる。
この項で説明する江戸の端唄の前身である。
今日では短い上方唄(地歌)をさす場合が多い。

この項でいう端唄とは江戸時代中期以降における短い歌謡の総称のことである。
1920年代までは小唄も端唄の名で呼ばれていたが、その後端唄・小唄・うた沢・俗曲とはっきりと区別されるようになった。
現在では小唄・うた沢・俗曲に属さない江戸期の小曲が端唄であると定義される。

以上のような経過から、従前の端唄は上記のどれかに吸収されており、独自の端唄とするに足りる曲は非常に少ない。
様々な文献やサイトで端唄とされるものがうた沢とされていたり小唄とされているのはこのような事情による。

端唄が流行したのは特に天保の改革以後であるとされる。
これは改革時に三味線が贅沢なものと見なされ、庶民が三味線を弾く事を幕府から禁止されてしまった。
歌舞伎伴奏などのプロの長唄奏者は営業が続けられたが、街角の稽古場で三味線を教えるようないわゆる「街のお師匠さん」(今で言う個人宅の音楽教室)は禁止されてしまったのである。
何年か(10年と言われる)この状態が続いた後ようやく解禁された。
そこで庶民らは再び三味線を手にすることが出来るようになったが、長く楽器を触っていなかった者にとっては長唄のような長いレパートリーをすぐにさらい直す事は素人には難しい。
そこで覚えたての小曲をすぐに弾くことが出来るという理由で、端唄がもてはやされるようになったのである。

音楽的特徴

小唄は爪弾きであるのに対して端唄は撥を使う。
また、節回しも若干の相違があり、うた沢に比べてサラリとうたうのを特徴とする。

鼓や笛といった鳴り物付きで唄われることが多い。

代表的な曲

小唄・うた沢の項を参照

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