素麺 (Somen (Japanese vermicelli))
素麺(索麺、そうめん)は、小麦粉を原料とした麺のひとつ。
主に乾麺で流通するため市場では通年入手できるが、冷やして食することが多く、清涼感を求めて夏の麺料理として賞味するのが一般的である。
概要
乾麺については小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練り、綿実油などの食用油、もしくは小麦粉やでん粉を塗ってから、よりをかけながら引き延ばして乾燥、熟成させる製法がある。
この製法で『手延べ干しめんの日本農林規格』を満たしたものについては「手延素麺(てのべそうめん)」に分類される。
近年では手延べそうめんも大幅に機械化が進んでいる。
小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地を帯状に細く切って乾燥させる製法のもので機械にて製造しているものは「機械素麺(きかいそうめん)」に分類される。
日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』にて、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。
ちなみに直径1.3mm以上1.7mm未満はひやむぎ、1.7mm以上はうどんと分類される。
手延麺の場合、素麺もひやむぎも同基準であり、直径が1.7mm未満で丸棒状に成形したものが「手延べ素麺」もしくは「手延べひやむぎ」に分類される。
ちなみに直径が1.7mm以上で丸棒状に成形したものは「手延べうどん」に分類される。
乾麺のものは保存性は良いが、他の麺に比べて虫がつきやすく保存には注意が必要である。
長期間保存され油分が抜けるとサラサラとした口当たりになり食味が増すとして、虫がつくほど保存したとの意味で「虫つき素麺」と称し珍重される場合もある。
これについては、素麺の油分は長期保存によって酸化し、むしろ風味を損なうとする意見もある。
生麺・茹で麺等については『生めん類の表示に関する公正競争規約』にて、「この規約で『うどん』とはひらめん、ひやむぎ、そうめんその他名称のいかんを問わず小麦粉に水を加え練り上げた後製麺したもの、又は製麺した後加工したものをいう」となっている。
この規約上「素麺」は「うどん」に分類されており、狭義では生麺・茹で麺タイプの素麺はうどんの一種とも解釈できる。
しかし別項にて「一般消費者に誤認されない名称に替えることができる」となっている為、それにより「素麺」の名を使用することも認められており、『生めん類の表示に関する公正競争規約』では一部特産品を除き太さに関する具体的な数値による基準や形状に関する具体的な規定を設けていない。
この為、「素麺」、「ひやむぎ」、「細うどん」等は製造・販売業者にて見た目の形状による判断や意向等により、一般消費者に誤認されない範囲で自由に選択して名付けられる。
そのため、この規約に沿った生麺・茹で麺タイプの素麺が実際に製造・販売されている。
シマダヤ「流水麺そうめん」、サン食品「チャンプルーの麺(そうめん)などがその例である。
機械麺が一般化する以前は、素麺は手延べ工程により生地を細くするため断面が丸く、ひやむぎは生地を薄く打ち延ばしてから細く切るため断面が四角になっている、という見分け方も出来た。
しかし現在では機械麺が一般的となり、それらは素麺も冷や麦もほぼ同じ製法で作られているためこの見分け方法は不適となっている。
食べ方
ゆでて氷水や流水で冷し、ぬめりを取るためもみ洗いをしたのち、めんつゆにつけて食べるのが一般的である。
後述の温かくして食べる「にゅうめん」に対して「冷やしそうめん」、「冷やそうめん(ひやそうめん)」と呼称されることもある。
ゆでる水には塩を入れない。
これは麺に含まれる塩分を出すためである。
吹きこぼれそうになった際に差し水(あるいはびっくり水)と呼ばれる冷水を入れる動作をするかどうかは意見が分かれる。
ゆで上がったら細い麺であり他の味が移りやすいため、出来るだけ良い水で洗い、手油を避ける必要がある。
めんつゆは醤油、カツオ出汁、みりんあるいは砂糖などからなる甘辛いもので、食べる前日に作るのがよいとされる。
ごまだれをめんつゆに入れたりつけ汁として用いる場合もある。
付け合わせに煮込んだシイタケや錦糸卵等がつく場合もある。
薬味としては、刻みネギ、おろしショウガ、ゴマ、ミョウガなどが用いられる。
めんつゆの一例
材料(完成量200cc強)
醤油 - 50cc
みりん - 50cc
水 - 1計量カップ(200cc)
かつお節 - 適量(1カップ程度)
作り方
醤油とみりんを加えひと煮立ちさせてアルコール分を蒸発させてから、水とかつお節を加える。
再度沸騰したら、すぐに火を止め、冷まして完成。
醤油みりん水の比率 114 に配合することで、一般的なそうめんつゆに向いた適度な辛さのつゆとなる。
辛さや甘味は好みによって調整すると良い。
地域によってはさらに甘辛いつゆが好まれることもある。
他の食べ方については、下記の通り。
にゅうめん:ゆでた麺を冷やさず温かいまま、あるいはうどん同様に温かいつゆをかけて、またはつゆで煮込んで食べるもの。
「にゅうめん」の呼び名は、「煮麺」の発音がなまったものである。
にゅうめんをよく食べる地域では、冷たいものを「冷や素麺」と区別して呼ぶ場合もある。
ソーミンチャンプルー:沖縄県の、固くゆでた素麺を焼きうどん風に炒めたもの。
別名ソーミンタシヤー。
料理の飾りとして、素麺を乾燥したままで揚げて使う場合がある。
なお、揚げてから煮ると、中国広州市の伊府麺(全蛋麺、台湾では意麺とよぶ)のような風味を楽しむことが出来る。
流し素麺(そうめん流し):竹製の樋 (建築)を使って素麺を流し、箸で捕まえてめんつゆ等に付けて食べる。
夏の風物詩とされている。
素麺流しとも言う。
宮崎県の高千穂峡ならびに鹿児島県指宿市にある唐船峡が発祥地で、観光施設がある。
また、円卓テーブル上で円環する樋に素麺を流して食べる形式の食事施設も鹿児島県内各地に複数存在する。
夏のキャンプなどでのイベントとして行われることもある。
家庭用に電動で流水を作る「流し素麺機」が製造販売されている。
千葉ロッテマリーンズ本拠地時代の川崎球場で観客が道具と素麺を自主的に持ち込み行ったことがある。
サラダ素麺:素麺の上にサラダを盛り付け、マヨネーズと麺汁をベースにしたサラダドレッシングをかけて食べる
吸い物:吸い物の具としても用いられる。
素麺は夏季の麺料理の代表格であり、夏季には各食品メーカーや醤油メーカーから、「そうめんつゆ」と呼ばれる調味済みのめんつゆが販売される。
素麺の伝来
素麺は日本国内では奈良県桜井市が発祥の地とされており、奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅(和名で「麦縄」とも書く事もある)に由来するとする説が広まっている。
元々「索餅」は古代中国の後漢や唐の文献に度々出てくる言葉であり、日本では天武天皇の孫、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡が最も古い記録となっている。
原形はもち米と小麦粉を細長く練り2本を索状によりあわせて油で揚げたもので、現在の油条に似たものと考えられる。
唐菓子の索餅は神饌として現在でも用いられており、素麺の原形を知る手がかりとなる。
索餅の材料・分量・道具については平安時代中期の『延喜式』に書かれており、小麦粉と米粉に塩を加えて作る麺(米粉は混ぜないという説もある)という事は分かっている。
しかし、形状については不明であり現在の素麺や饂飩よりもかなり太く、ちぎって食べたのではないかとする説が有力的である。
祇園社の南北朝時代 (日本)の記録である『祇園執行日記』の康永2年(1343年)7月7日 (旧暦)の条に、麺類を指す言葉として索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)と三つの表記があり、これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされている(南北朝時代の「異制定訓往来」が「素麺」の初出という説もある)。
平安時代には七夕に索餅を食べると病(マラリア性の熱病)に罹らないという中国の故事に倣って宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていた。
室町時代には現在の形になったとされ「索餅」「索麺」「素麺」の名称が混じって用いられたが、やがて「素麺」が定着したといわれている。
その他の説として、南北朝時代に元 (王朝)から禅僧の往来や貿易によって伝えられたもの、という説がある。
中国では日本よりもはるかに早く、北宋時代に「索麺」の表記が出ている。
南宋時代末期から元初期頃の『居家必要事類全集』という百科全書に出ている索麺の作り方には「表面に油を塗りながら延ばしていくことで、最後に棒に掛けてさらに細くする」等といった日本の手延素麺の製法と酷似した特徴が書いてある。
奈良時代から南北朝時代には形状が不明であった索餅がこの時代を境に形状が解明されてきている。
索麺はそれまでの索餅と形状も名称も似ているため、言葉の混用が起きたと考えられている。
室町時代は、茄でて洗ってから蒸して温める食べ方が主流で、蒸麦や熱蒸とも呼ばれた。
また、この時代の文献には梶の葉に盛った索麺は七夕の風流 という文章も残されている。
またこの時代の宮廷の女房詞では、素麺を「ぞろ」と呼んでいた。
江戸時代には、七夕にそうめんを供物とする習俗が広まっていった。
これは細く長いそうめんを糸に見立て裁縫の上達を祈願したものである。
日本国内の素麺産地
日本国内では近世より西日本を中心に素麺生産が盛んであった。
これは原料となる小麦、水(軟水)、食塩(海水塩)の産地が近かったことが一つの理由である。
播州素麺…主産地は兵庫県たつの市、姫路市など。
2008年現在、日本国内1位の生産高を誇る。
播磨地方の良質の小麦、揖保川の清流、赤穂の塩など原料に恵まれていたことから素麺作りが盛んになったと云われる。
尤も、江戸時代の上方では、摂津国の灘素麺に後塵を拝していた。
しかし、近代になって市街化が進んだことによって灘が急速に衰退。
それに伴って灘の職人が播州に出稼ぎに出て技術を伝えたことで、品質が向上したともいわれる(ブランドの詳細などは揖保乃糸を参照せよ)。
三輪素麺…奈良県桜井市三輪地区。
最も素麺作りの歴史が長く、全国に分布する素麺産地の源流は殆どが三輪からであった。
古く素麺の相場は三輪で決められていた。
(尤も、その当時から生産量は少なく、主に島原から買い上げていた。)
(この傾向は産地偽装問題が発覚する2000年頃まで続き、その当時では三輪素麺の7割は島原産であった)。
現在も島原など他県からのOEMによる場合があるが、その場合は『三輪素麺』の名を冠しなくなっている(詳細は三輪素麺を参照)。
かつては綿花の産地に近かったため、綿実油を使って延ばすのが特徴である。
小豆島手延べ素麺…香川県土庄町や小豆島町が産地。
酸化しにくい胡麻油を使って延ばす。
島の光、瀬戸の風などのブランドがある。
以上3地区を日本三大素麺と俗称することがある。
島原素麺…長崎県南島原市などが産地。
全国で二番目の生産量で、江戸時代に救荒作物として栽培が奨励された。
品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇る。
それゆえに知名度は低かったが、近年になってブランド力を高めている。
その一方で、三輪に比べ取引価格が下落するような問題も発生している。
半田素麺…徳島県つるぎ町(旧半田町)が産地。
起源は諸説があるが、天保時代に吉野川の船頭が、家族の自給用や副業として始めた説が有力である。
1754年に書かれた「日本山海名物図会」にはこの素麺に関する記述がある。
他の素麺より太いのが特徴で、それにより過去には素麺とは別の名を付けられそうになった時期がある(現在は『乾めん類品質表示基準』が改定された事により基準上も正式に「手延べ素麺」となった)。
淡路素麺…兵庫県南あわじ市(旧南淡町)。
寒冷な季節に、昔ながらの製法で大量生産せず、二日行程で生産している。
太さによって、淡路糸、御陵糸、おのころ糸の商品名がある。
大門素麺…富山県砺波市。
延ばす際に油を用いないのが特徴で、一般的なまっすぐの束ではなくワイヤー状になっている。
南関素麺…熊本県南関町。
麺が非常に細いのが特徴で、北原白秋が白糸のようだと形容した。
将軍家、明治天皇などに献上された歴史を持つ。
昔ながらの手延べ製法を守っているところが多い。
鴨方素麺(かもがたそうめん)…岡山県浅口市。
古くから備中素麺と呼ばれ、”麦切り”という麺類の一種が朝廷に献上された歴史を持つ。
現在で言う素麺の生産は江戸時代後期から始まったもので、播州から手練れの職人を招いて技術を学んだものである。
そして播州と同様に、良質の塩と水、小麦などの原料が揃っていたことから一大産地に成長した。
今日では機械製麺の店が多いが、古くからの手延べ素麺を守る所もある。
また、同産地では手延べうどん(鴨方うどん)も生産している。
神埼素麺…佐賀県神埼市。
生産量は多い(機械麺において日本国内3位)。
機械製麺の発祥地で、真崎照郷が1874年(明治7年)素麺の製麺を手延べから機械化する事を思い立ち鉄工場を始め、1883年(明治16年)に製麺機を発明(1880年(明治13年)発明との話もある)した。
それに伴いそれ以降は機械製麺が発展し、それにこだわりを持つ職人も少なくない。
独特のコシの強さで知られ、冷して食するほか、温めて食べる「にゅうめん」でも有名。
卵麺…岩手県盛岡市および江刺市、水沢市一帯。
卵黄と小麦粉を混ぜて麺を延ばす黄色い素麺。
水分をあまり含まないため伸びにくい。
五色素麺…愛媛県松山市。
伊予節にも歌われた名物。
白に加え、赤(梅肉)、緑(抹茶)、黄(鶏卵)、茶色(そば粉)の五色が彩りを添える。
大矢知手延べ素麺…三重県四日市市大矢知地区で冷や麦の産地として知られるが、江戸時代から続く素麺産地でもある。
ミネラルに富む朝明川の水と鈴鹿山脈の颪によって麺作りに適した気候となっている。
稲庭素麺…秋田県湯沢市稲庭町。
稲庭うどんと同じ製法で作られる寒晒しの手延べ素麺。
油は用いないのが特徴。
白石温麺…宮城県白石市。
長さ10センチメートル程度の短い麺で、稲庭素麺と同じく製造に油は用いない。
三春素麺…福島県三春町。
明治初期に一度廃れたが昭和後期に復活し、それ以降に作られている麺の形状は平麺となっている。
和泉素麺…愛知県安城市。
麺が乾燥する前に手で伸ばして生麺状態に戻す"半生もどし"という独特の製法(素麺以外では割と用いられる)で知られ、腰が強い。
また、他産地の素麺はだいたい冬場の寒風に晒して干すのだが、この半生もどし麺は主に夏場に作られ、三河湾から吹き付ける湿った風を利用する。
麺の長さは2メートル近くもあり、一丈麺と称する。
衰退した素麺産地
江戸時代には隆盛を極め、幕府などにも献上された歴史を持っていたが、都市化、後継者不足、水質悪化、機械製麺の興盛などの影響により産地が消滅した地域。
小川素麺(埼玉県)…「新編武蔵風土記稿」に名物との記述がある程の産地であったが、小川町和紙が隆盛した事に伴い、素麺生産していた家々が徐々に和紙生産へと転換し衰退。
久留里素麺(千葉県)…良質の水に恵まれ、江戸幕府にも献上された歴史を持つ一大産地であった。
輪島素麺(石川県)…大門素麺は輪島素麺に勉強に行って発祥したと言い伝えがある。
いわば大門素麺の祖先。
河内素麺(大阪府)…近代に至るまで隆盛を極めたが、都市化や環境の劣化に伴って次第に衰退。
自家消費での生産がわずかに残るのみ。
灘素麺(兵庫県)…三輪から技術を伝えられる。
魚崎地方を中心に発展し、江戸時代には上方の代表産地として名を馳せた。
明治時代後期から都市化などで急速に衰退。
廃絶した。
後に、灘素麺の技術は播州、鴨方など他産地に伝播した。
など
添加物によるバリエーション
さまざまな食品を添加した素麺も作られている。
抹茶素麺:抹茶を加えて練ったもの。
緑色をしている。
いちご素麺:イチゴの果汁を加えて練ったもの。
薄紅色をしている。
梅素麺:梅干しを潰して練り込んだもの。
薄紅色をしている。
酒素麺:清酒を加えて練ったもの。
腰と滑らかさが増すという。
あご素麺:あご(トビウオ)を練りこんだもの。
素麺と食風習
素麺は祝い事や忌み事の席で食べられる例が多い。
祝食としては、壱岐島を中心とした九州で食べられる鯛素麺や滋賀県の長浜市を中心とした湖北地方で食べられる焼鯖素麺、広島県の婚礼に供される「鯛めん」が有名である。
他に禅宗寺院では「祝麺」と呼んで祝い事の昼食に素麺を食べる習慣がある。
忌み事としては、通夜ふるまいや法事の斎席で「にゅうめん」が出される地方が見られる。
盂蘭盆会の精霊膳やえびす講の供膳にそうめんを供する習慣は全国に見られる。
祖霊や神仏に供えられると共に親類縁者が集まって食べる例が多い。
仙台などでは七夕に魔除けや子供の健康を願って素麺を食べる習慣がある。
これは、幼くして死んだ子供が幽鬼となって疫病を流行らせたので、生前好物だった索餅を供えて供養したところ災厄が治まったという中国の故事に由来している。
素麺に形が似ていることから名付けられている食品に、魚肉練り製品の魚素麺や卵を使った菓子の鶏卵素麺がある。
他に刺身のイカを千切りにしたイカソウメンやヤマノイモをソウメン風に仕立てたものなどもある。
主にひやむぎの麺に入っているケースが多いが、赤や緑の彩色麺が素麺にも数本入っている場合もある。
これは、製麺所が素麺の麺束にこれらの彩色麺を混入しているためである。
この風習は1980年代後半までは関東地方(東京)などを中心見られたが、1990年代には縮小していき大多数が白一色の素麺になってしまった。
しかしその一方で一部の製造業者が現在でもこの風習を続けている。
節麺
節麺(ふしめん)は素麺を作る際の副産物で、棒で延ばすときに棒にかかる曲線部分を切り分けたものをいう。
直線部分が正規の商品である素麺となる。
節麺は、素麺節(そうめんふし)、切り落としと呼ぶ地域もある。
兵庫県播州地方では、その形が三味線のバチに似ている事から「バチ」と言う。
材料は素麺と同じであるが、幅があり、曲がりの部分はパスタのコンキリエに少し似たような立体をしているので、JAS規格の素麺には当たらない。
太さがあるので、ゆでても塩分が残り、食感も違うので、素麺とは違う風味がある。
鍋料理と煮込んだり、みそ汁の具にするなどの使い方が多い。
日本以外での素麺
中華人民共和国にも機械素麺・手延素麺が存在する。
中国の福州周辺において素麺(福州では「線麺」と表記する)は少なくとも明初期から存在していた。
他の地域でも一般的な乾麺の一つで、中国各地の工場で生産が行われ販売されている。
機械麺については「宮麺(コンミエン、gōngmiàn)」と呼ばれるものがある。
大韓民国でも素麺を日常的に食べる文化が存在する。
それに「ハレとケ」の食物として麺類が用いられる風習が一部にあり、結婚式等の祝い事の席やそれが終わった後に素麺が振舞われる事がある。