羽根突き (Hanetsuki (Japanese badminton))
羽根突き(はねつき)は、1300年の歴史を持つ、日本の正月によく行われる伝統的な遊戯のひとつであり、2人がムクロジの種子に羽を付けたものを羽子板で打ち合う、女子の遊戯や縁起行為である。
元は神事とされる。
概要
本来の意味
女児が健やかに育つようにという願いを込めて行われる神事であり、古くは奈良時代から続く、公家の間で行われた神事や遊戯であった。
元は毬杖(ぎちょう)と言った。
(ちなみに男子には破魔矢・破魔弓が送られ神事としては様々な弓矢がそれにあたる。)
また羽子板を飾る時期が、主に正月から小正月の1月15日まで飾られることから、この時季に行われることが多い。
遊び方
基本的には1対1の2名で行われる。
2人のプレーヤーは向かい合って位置し、それぞれ羽子板(はごいた)とよばれる木製のラケットを持ち、羽根(はね。木製の小球で、もともとはムクロジの種子)に数枚の鳥の羽をさしこんだもの。羽子(はご)ともいう)を打ち合う。
ネットや定まった大きさのコートなどはないが、打ちそこなった場合は失点とされ、顔に墨でバツ印などの落書きをされる罰が与えられる。
墨を塗る行為も元は縁起行為であり、墨には厄除けや殺菌効果としての病気除けの効果があると考えられていた。
現在の社会的認知
和服姿の女性や子供たちが興じる姿は、正月の風物詩として報道される。
バドミントンに似る。
またこの罰がこっけいであることから、テレビジョン放送のバラエティ番組などで羽根突きをアレンジしたゲームが行われ、敗者の顔に墨を塗る罰ゲームが行われることも多い。
歴史
毬杖が時代とともに変化し、杖が羽子板に変化し、毬が羽に変わったと言われる。
一説には毬が羽に変化したのは、紐や羽のついた分銅を蹴る武術や舞や遊びが中国から伝わり、日本の毬杖と渾然一体となり現在の羽根突きになったとも言われる。
(羽子板は日本独自のものである)
奈良時代に、男子の神事として蹴鞠(けまり)が存在したのに対し、女子には毬杖が行われていた。
(毬杖とは、箆のような杖で毬を打ち合う遊びであり、神事であった。)
室町時代には、杖(「毬杖」というが、毬杖の神事と紛らわしいので「杖」とする)は羽子板に変化し、毬は無患子(むくろじ)の木の実に羽をつけた物に変化した。
現在の羽根突きとほとんど変わらぬ様式となり、公家の間で「こぎの子勝負」といった羽根突き大会が行わた。
これは、男女対抗戦であり、負けた方が、酒を振舞ったとされる。
この無患子は「子が患(わずら)わ無い」と表記するので女児への無病息災の願いが込められている。
戦国時代には祭礼の要素が強くなり、羽根突きよりも羽子板に祓いや縁起としての装飾が施され、縁起物の装飾品としての色合いを帯びていった。
この頃には羽根を蜻蛉に見立て、蚊に刺されないようにとの願いが込められていたことが文献に記述されている。
当時の疫病は蚊を媒介として広まることが多く蚊除けは大事な事であった。
江戸時代には、武家が女児の誕生を祝って羽子板を贈答するようになった。
またこれが庶民にも伝わり、女児のいる家庭に縁起物の歳暮として年の暮れに贈られるようになった。
このことが正月に羽根突きが行われることの由来となっている。
羽子板
コギノキという木は、その種子が羽根突きの羽に形が似ていることから、「突く羽・衝羽根(ツクバネ)」と名づけられた。
羽子板には装飾用に作られるものもあり、人物像や花鳥の図が布の押し絵で豪華に作りつけられる(詳細は羽子板の項を参照のこと)。
羽子歌
羽子歌(はねうた)は、羽根突きにうたう歌である。
歌詞の一例は、「一(ひと)ごに二(ふた)ご、三(み)わたし四(よ)めご、五(い)つ来ても六(む)かし、七(なな)んの八(や)くし、九(ここ)のまへで十(とを)よ」。
また、「一ごに二ご、三わたし四めご、五つ来て見ても、七(なな)子(こ)の帯を、八(や)の字にしめて、九(ここ)のはで十(と)かした」。
また、「一人(ひとり)来(き)な二人(ふたり)来な、三人(さんにん)来たら、四(よ)つて来な、五(い)つ来て見ても、七子(ななこ)の帯を、八(や)たらにしめて、九(ここ)のまへで十(とを)よ」。