舞妓 (Maiko (apprentice geisha, dancing girl))
舞妓 (まいこ)は年少芸妓、芸子(芸妓)の見習い、修行段階の者を指す。
舞妓は京都(大阪、奈良などでも)の呼称である。
東京など関東地域でいう『半玉』もしくは『おしゃく』に相当する。
芸者は江戸での呼び方なので、区別する必要がある。
京都の舞妓
で舞を披露する舞妓
古くは『舞子』と書き、かつては9~12歳でお座敷に上がり接客作法を学び、芸能など修業して一人前の芸妓に成長していたが、戦後児童福祉法と労働基準法の改正にともない現在は中学卒業後でないとなれない。
通例、半年から2年ほどの「仕込み」期間を経た後、1か月間「見習い」としてだらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。
置屋の女将、茶屋組合よりの許しが出れば、晴れて舞妓として「見世出し」が可能となる。
座敷や舞台に上がるときは芸妓も舞妓も白塗りの厚化粧をするが芸妓が通常鬘を付けるのに対し、舞妓は自髪で日本髪を結い、四季の花などをあしらった華やかな簪つまみ簪を挿す。
舞妓の初期は「割れしのぶ」という髪型で、2、3年後に「おふく」となり、芸妓への襟替え1~4週間前には「先笄」を結い、お歯黒を付ける(引眉しないので半元服の習慣が現代に残るものと見てよい)。
襟替えの時期は20歳前後の場合が多い。
年齢が若いために見習いであるという建前から、衣装はかならず肩上げ、袖上げのされた裾を引いた振袖の着物を着る。
ぽっくり(こっぽりとも、京都では「おこぼ」)の下駄にだらりの帯、という派手な格好もあるせいで、現在ではむしろ芸妓(芸子)よりも舞妓のほうが上方花街の代表的存在であるといえるかもしれない。
座敷では主に立方を勤め、祇園甲部に限って京舞井上流、それ以外では若柳流などの舞踊を披露する。
いずれの出身地にかかわりなく独特の京ことば(祇園ことば)を使うよう教育されるために、京都の象徴であるがごとくあつかわれることも多い。
本業は茶屋においての接待であるが、最近はテレビなどのメディアへの露出、養護施設や病院への慰問、海外への派遣の仕事も多い。
かつて「一見さんお断り」の閉鎖的空間であった花街も、徐々に外に対して門戸を開いているようだ。
事実、舞妓のなり手がいない置屋では、インターネットを通して舞妓志望者を募るところもあるという。
現在、京都の花街で舞妓がいるのは祇園甲部、宮川町、祇園東、先斗町、上七軒の五花街である。
最近はブームのせいもあってか、舞妓志望者は増える一方である。
にもかかわらず、憧れだけで入門した妓は封建的かつ前近代的な体質を持つ花街の昔気質のつらい修行に耐え切れず辞めてしまう場合が多い。
そのため、花街ではいかに質の高い芸舞妓を保持するかが今後の問題といえそうだ。
京都以外の舞妓
酒田市(山形県)には舞娘と書いてまいこと読む年少芸妓が居るが、衣装は京都の舞妓とは異なる。
山形市にも上記と同様のやまがた舞妓(舞子)が居る。
花笠祭りにも登場。
あわら市(福井県)の芦原温泉に於いて三年前に38年ぶりの舞妓が誕生。
現在、二名の舞妓がいる。
ひきずりの着物にだらりの帯、という京都の舞妓と同じ衣装、但し地毛ではなくかつら(場合により地毛で結っている時もある)。
奈良市元林院町の花街は細々と続いている、という状態で、2006年5月28日に舞妓(京都と同じ衣装)が1名誕生したが、これを入れて芸妓は14名のみ、という状態である。
舞妓は京都と同じくお引きの振袖にだらりの帯、地毛で結った京風日本髪に花かんざしを挿し、おこぼを履く。
大阪市には戦前には舞妓が居た。
京都とは異なり、帯結びが腰元の様な立て矢であるのが特徴(「やぎっちゃ」という結び方)。
また髪型も京風の引き鬢ではなく、江戸風の出し鬢であった。
現在、北の新地で復活を目指している。
神戸市の有馬温泉では高卒の新人は舞妓(半玉)と呼ばれる。
詰め袖の着物だが京都と同様の肩上げをし、鬘だが花かんざしを付ける。
いずれの花街も京都と違い現在は舞妓として座敷に出るには18歳以上(高校生は不可)であることが定められている。