駒沢利斎 (KOMAZAWA Risai)
駒沢利斎(こまざわ りさい)は千家十職の一つ。
三千家御用達の棚や香合、炉縁などを製作する指物師が代々継承する名跡である。
当代は14代が昭和52年(1977年)に逝去後、長く空席が続いており、14代の甥の息子である吉田博三が後を嗣ぐべく修行中である。
歴史
初代・宗源が延宝年間に指物業を始めたのが最初とされる。
千家に関わったのは2代・宗慶からで、千宗旦の注文により指物を製作したと言われる。
しかし、積極的に千家に関わるのは4代・利斎からである。
彼は表千家六世・覚々斎の知遇を得て千家出入りの茶方指物師として指名され、「利斎」の名を与えられた。
これ以後、代々の駒沢家当主は「利斎」を名乗るようになる。
江戸時代後期に活躍した7代・利斎は指物だけではなく塗師としても一流の腕を持ち、黒田正玄や飛来一閑らと合作を作るなど意欲的に製作を行い、長寿にも恵まれ「駒沢家中興の祖」といわれる。
その後は大成する前に早世する当主が相次ぐ。
13代・利斎は70歳まで生きたものの、晩年に儲けた息子に先立たれると言う不幸にあう。
13代の死後、妻であった浪江は娘・千代子を後継者とするべく家業の継承を決意、14代・利斎となるが、その千代子も昭和36年(1961年)に早世、14代も昭和52年に死去、以後現在に至るまで名跡は空席となっている。