髪結い (Kamiyui (Hairdresser))
髪結い(かみゆい)は江戸時代から明治にかけての理髪業に従事する人を総称する言葉で、今の美容師のこと。
男性の髪を手がける男の髪結いで「髪結い床」という自分の店を持つものは床屋とも呼ばれた。
が、女性の髪を手がける女髪結いは遊郭(遊女は上得意だった)や顧客の家を訪問していた。
以下「床屋」では男性の髪結い、「女髪結い」では女性の髪結いについて扱う。
床屋
男性の髪結いは、月代が広まった室町時代後期に一銭程度の料金で髪を結い月代を剃った「一銭剃」(いっせんぞり)が起源である。
雑用をこなす召使がいる武士と違い、庶民は自分で月代を剃ることができず(貧しい人は月代を伸ばしっぱなしにしたり妻に剃ってもらうなどした)髪結いに頼んだのだ。
彼らは町や村単位で抱えられ、床と呼ばれる仮店で商売を行ったため床屋とも呼ばれる。
床屋が特に多かったのは独身男性が多い江戸だった。
江戸の男性はかなり頻繁に床屋に通っていたらしく床屋は番所や社交場としても利用された。
江戸や大阪・京都では、床屋は幕府に届出して開業した後は町の管理下で見張りなどの役割を果たしていた。
番所や会所と融合したものを内床、橋のそばや辻で営業するものを出床、道具を持って得意先回りをするものは廻り髪結いと呼ばれた。
当時の床屋は現在の美容院と違って客の髭を剃ったり眉を整えたり耳掃除までしていたため、かなり長い年月の修行が必要になる技術職でもあった。
床屋の料金は天明年間でおおよそ一回280文前後で、月代・顔剃り、耳掃除、髪の結いなおしをする。
一方、得意先と年季契約して出張する「廻り髪結い」は大店などに抱えられており、主人からは一回100文前後、ほかの従業員はその半額程度の料金を取った。
決められた料金のほかに、「あごつき」といって得意先に食事を出してもらう契約のところもあった。
また祝い事のご祝儀なども届けられるなど腕のよい髪結いならそれなりに余裕のある暮らしを送れたらしい。
女髪結い
結髪が習慣化して以来、成人女性は自分で髪を結うのが嗜みだったのだが、髪型が複雑化した明和年間ごろにはもはや結髪の素人には手に負えず、また、後ろ髪を大きく突き出すような自分では結うのが難しい髪型が氾濫した。
そのため、多彩な髪型を熟知し顧客の容姿や好みに合わせて結い上げる専門職が必要になり男性の「廻り髪結い」が遊郭を出入りして遊女の髪を結った。
しかし、男性にはさらに複雑化してゆく髪型を熟知し顧客の細かな要望に応える作業は厳しく、安永ごろになると女性の髪結いが登場して遊郭の「廻り髪結い」は急速に衰退していった。
彼女たちは筋目櫛や梳き櫛などを風呂敷に包んで顧客を訪ね、客の要望を聞きながら最新の髪形を結っていった。
江戸時代後期には毎年のようにスタイルブックが売り出され髪結いはそれを参考にアレンジを加えてゆっていた。
女髪結い自体は着古した地味な衣装に前垂れを帯代わりにするような堅実で質素な女性が多かった。
だが、幕府には他人に髪を結わせるという行為が贅沢だと目をつけられてたびたび禁止令を出されていた(とはいえ耳を貸すような女性は皆無に等しかったのだが)。
髪結い料は安永ごろの資料を見ると一回で200文程度で、物価の上下や時代ごとに多少の変遷があったと思われる。
また、遊郭の女郎や大店の妻女からは季節ごとに祝儀の品が届いた。
「髪結いの亭主」といえば高給取りの女房のおかげで楽な暮らしをする男の代名詞であった。