ばい子内親王 (後朱雀天皇皇女) (Imperial Princess Baishi (Daughter of Emperor Gosuzaku))
禖子内親王(ばいし(みわこ)ないしんのう、長暦3年8月19日_(旧暦)(1039年9月10日) - 嘉保3年9月13日_(旧暦)(1096年10月1日)は、後朱雀天皇の第四皇女。
母は中宮藤原げん子、同母姉に祐子内親王。
斎院、別名六条斎院。
略歴
誕生後わずか10日で母后嫄子が崩御した。
姉祐子内親王と共に祖父藤原頼通の元で育てられた。
永承元年(1046年)、兄後冷泉天皇の即位に伴い、8歳で賀茂斎院となる。
病弱のため康平元年(1058年)に斎院を退いた。
その後も長く病に苦しんだが、一方で幼い頃から和歌の才能に優れていたといわれる。
「天喜三年五月三日物語歌合」ほか、判明しているだけで25回もの歌合を開催した。
斎院退下の後は、母方の曽祖父である具平親王の六条邸に住んだという。
晩年に出家、永長元年(1096年)58歳で死去。
なお、禖子内親王に仕えた歌人六条斎院宣旨は「狭衣物語」の作者であると言われる。