人康親王 (Imperial Prince Saneyasu)

人康親王(さねやすしんのう、天長8年(831年) - 貞観14年5月5日(872年6月14日))は平安時代の皇族。
仁明天皇第四皇子で、母は贈皇太后藤原沢子(贈太政大臣正一位藤原総継の娘)。
同母兄に光孝天皇。
弾正尹兼常陸太守となったが、病気の為出家して隠棲した。
山科宮人康親王とも。

親王の王子は元慶4年(880年)に興基王が、元慶6年(882年)に興範王と興扶王が源氏朝臣の姓を賜り臣籍降下している。
なお、興基王が臣籍降下の際、興基王の王子の忠相王、敏相王、宜子女王(清和天皇女御)も同時に臣籍に入った。

貞観元年(859年)、両目を患い隠棲した場所が諸羽山の麓、現在の京都府京都市山科区四ノ宮(四ノ宮と言う地名は、仁明天皇の第四皇子であった親王を指すとする説が一般的)である。

親王は琵琶の名手であったとされ、江戸時代には座頭・琵琶法師等の祖先とされた。
当時検校の位にある琵琶法師が毎年当地に集まり琵琶を演奏し親王の霊を慰めた。
また、親王は『伊勢物語』に登場する「山科の禅師親王」とされている。

山科区四ノ宮柳山町の諸羽神社の境内には、親王の山荘跡とされる場所があり石碑が設けられている外、同四ノ宮泉水町には四宮地蔵があり、「人康親王 蝉丸 供養塔」と書かれた石碑が建っている。

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