伏見宮貞建親王 (Fushiminomiya Imperial Prince Sadatake)
伏見宮貞建親王(ふしみのみや さだたけしんのう、元禄13年12月21日 (1701年1月29日) - 宝暦4年7月21日 (1754年9月7日))は、江戸時代中期の皇族。
伏見宮第15代。
伏見宮邦永親王の第3王子。
母は、霊元天皇第5皇女福子内親王(よしこないしんのう)。
幼称は若宮。
宝永5年(1708年)東山天皇の猶子となり、翌宝永6年(1715年)5月親王宣下を蒙り、貞建と命名される。
正徳 (日本)5年(1715年)10月元服し、兵部省に任ぜられる。
享保4年(1719年)正月東山天皇の第1皇女秋子内親王と結婚。
享保12年(1727年)二品に叙され、宝暦4年(1754年)7月21日一品に叙せられるが、翌21日薨去。
54歳。
法名、後乾徳院。
王子女に伏見宮邦忠親王のほか、伏見宮邦頼親王(尊宝入道親王)、尊英入道親王、尊真入道親王などがいる。