伏見宮邦忠親王 (Imperial Prince Fushimi-no-miya Kunitada)
伏見宮邦忠親王(ふしみのみや くにただしんのう、享保16年12月23日 (旧暦)(1732年1月20日) - 宝暦9年6月2日 (旧暦)(1759年6月26日))は、江戸時代の皇族。
伏見宮第16代。
伏見宮貞建親王の第1王子。
幼称は、阿古宮。
寛保2年(1742年)桜町天皇の猶子となり、翌寛保3年(1743年)10月親王宣下を蒙り、邦忠と命名される。
同年11月元服し、上野国太守に任ぜられる。
延享2年(1745年)三品に叙され、寛延2年(1749年)二品に叙せられる。
宝暦4年(1754年)父宮貞建親王の薨去に伴い、宮家を相続する。
翌宝暦5年(1755年)兵部省卿となり、宝暦9年(1759年)5月一品に叙せられるが、同年6月2日薨去。
享年29。
法名、円定明院。