大葬 (Taiso)
大葬(たいそう)とは、天皇・皇后ら三后の葬儀のこと。
近代の宮中祭祀および関連法令においては、「大喪」と表記されている。
概要
古代においては、殯宮を設置して1年間遺体を安置する慣わしであった。
持統天皇の時に火葬が導入されて以後は簡略化されて30日間が通例とされた。
聖武天皇の時に仏教に則った方式に変更された。
平安時代以後は、生前に造営した寺院などで行う事になった。
北朝 (日本)の後光厳天皇以後は京都泉涌寺で開催されることとなった。
江戸時代の後光明天皇以後は様式は火葬のまま、実際には土葬の制が復活した。
孝明天皇の時に様式も土葬のそれとなった。
なお、この時までは仏教による葬儀であった。
しかし、明治維新と東京奠都の影響により、その3年祭は東京に移された宮中で神道に則って開催された。
以後、英照皇太后と明治天皇の神式の例を踏まえて、1909年に皇室服喪令、続いて1924年に皇室喪儀令が制定された。
天皇及び三后の逝去を「崩御」・葬儀を「大喪」と呼称する事が定められた。
戦後の皇室典範改正により、皇室服喪令・皇室喪儀令は廃された。
しかし、慣例としてこれに準じた儀礼が採用された。
1989年の昭和天皇の場合には、日本国憲法の政教分離原則に反しない形で国家儀式の大喪の礼と皇室儀式の葬場殿の儀・斂葬の儀が分離された。
実際には連続して開催されている。