建皇子 (Takeru no miko)
建皇子(たけるのみこ、白雉2年(651年) - 皇極天皇4年(658年)は、飛鳥時代の皇族。
天智天皇の第二皇子。
母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘。
同母姉に大田皇女・持統天皇がいる。
日本書紀に「唖にして語ふこと能はず」とあり、言葉を話せなかったという。
唖の原因として、母・遠智娘が父・倉山田石川麻呂(皇子にとっては祖父)を中大兄皇子に処刑され、悲しみのあまり狂乱した状態で出産したため、遠智娘の精神異常が皇子に影響したのではないか、という説がある。
皇子を憐れんで祖母・皇極天皇は皇子をとても可愛がったと日本書紀に記載されており、「萬歳千秋の後に、要ず朕が陵に合せ葬れ」と言い、自分が崩御した際一緒に合葬せよと命じた。
その遺言通り、現在は斉明天皇陵に埋葬されている(近くには叔母・間人皇女と姉・大田皇女も埋葬されている)。