是貞親王 (Imperial Prince Koresada)

是貞親王(これさだしんのう、? - 延喜3年7月25日 (旧暦)(903年8月20日))は平安時代前期の皇族。
光孝天皇の子、母は班子女王。
同母兄に是忠親王、同母弟に宇多天皇がいる。

是貞王時代の貞観 (日本)12年2月14日 (旧暦)(870年3月19日)に兄の是忠王や異母兄弟とともに臣籍降下して源 是貞(みなもと の これさだ)と名乗る。
父・光孝天皇が即位した直後に元慶8年4月13日 (旧暦)(884年5月11日)に二世源氏から一世源氏に改められて左京一条に貫せられた。
この時、同母弟の定省王(宇多天皇)及び同母妹3名も臣籍降下している。
寛平3年(891年)に既に皇族復帰、即位していた宇多天皇の同母兄弟の皇族復帰が決定されて、光孝天皇第二皇子として四品親王に叙された。
その後、左近衛中将や大宰帥を務めて三品親王に至った。
宇多天皇が『新撰万葉集』を編纂に先立って、親王に託してその元となる『是貞親王家歌合』の撰定を行っている。

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