源潔姫 (MINAMOTO no Kiyohime)
源潔姫(みなもとのきよひめ、弘仁元年(810年) - 斉衡3年(856年)6月25日)は、嵯峨天皇の皇女。
母は当麻治田麻呂女。
藤原良房の正室。
臣下に降籍してからという形を取ったが、史料上確実な「臣下の妻となった初めての皇女」である(令の規定により皇女(内親王)は三世王(天皇の孫)までにしか嫁げないことになっていた)。
良房との間に産んだのは後に文徳天皇妃となった藤原明子 (染殿后)ただ一人であり、他に側室も迎えられず後嗣に恵まれなかった夫・良房は甥の藤原基経を猶子とした。
経歴
814年(弘仁5年) 源朝臣を賜り、藤原良房の妻となる。
829年(天長6年) 娘藤原明子 (染殿后)を生む。
841年(承和 (日本)8年) 正三位に叙せられる。
856年(斉衡3年) 逝去する。