田形皇女 (Takata no himemiko (Imperial Princess Takata))
田形皇女(たかたのひめみこ、天武天皇3年(674年) - 神亀5年(728年)3月5日)は、天武天皇の皇女。
斎宮。
母は蘇我赤兄の娘の大蕤娘。
同母兄姉に穂積親王、紀皇女がいる。
慶雲3年(706年)8月29日、退下した泉皇女の跡を継ぐ形で斎王として伊勢に下向した。
退下して平城京に帰った時期は明らかではないが、おそらく慶雲4年(707年)の6月15日に文武天皇が崩御した後と思われる。
時期は不明だが平城京に帰った後、六人部王と結婚し、後に歌人となる笠縫女王を生んだ。
神亀元年(724年)の2月6日に、三品に叙せられる。
728年の3月5日に死去。
田形皇女自身は歌を残していないが、夫の六人部王と娘の笠縫女王の歌が『万葉集』に残されている。