美努王 (Minu no Okimi)

美努王(みぬおう、生年不詳 - 和銅元年(708年)5月)は、飛鳥時代の皇族。
父は栗隈王。
妻の県犬養三千代との間に葛城王(後の橘諸兄)・佐為王・牟漏女王がいる。
呼び方についてはみのおうともいい、標記については弥努王・美奴王・美弩王・三野王とも書く。

672年(天武天皇元年)6月に壬申の乱が起こったときには、父栗隈王とともに筑紫にいたが、弘文天皇側が軍兵を徴収する旨の要求を拒否している。
681年(天武天皇11年)川島皇子らと「帝記」及び上古における事柄の記録・校定に従事した。
694年(持統天皇8年)筑紫大宰率・浄広肆。
その後造大幣司長官・左京大夫・摂津大夫などを歴任し、従四位下で没した。

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