興国天皇 (Emperor Kokoku)
興国 天皇(こうこく てんのう、1328年(嘉暦3年)9月 - 1397年(応永4年)3月)は、戦後、南朝 (日本)正統を主張した三浦芳聖の遠祖で、三浦皇統家第二代の天皇。
諱は守永(もりなが)。
父は三浦皇統家第一代東山天皇(尊良親王)、母は右大臣西園寺公顕の女・藤原清子・御匣殿(みくしげどの)。
後醍醐天皇の猶子(纂集御系図)・第七の宮。
南北朝時代 (日本)の戦乱の中で幼くして両親を失ったが、新田義貞・脇屋義助らに奉戴され1346年、白鹿の年号を用いて天下に号令を掛けた北陸朝廷の天皇(得江文書)。
武家方の目を眩ます陽動作戦のため、吉野朝の後村上天皇(義良)が身代わりの天皇として表に立ったため、興国天皇(守永)は、 内伝の天皇として身分を隠し、守永親王として東日本各地を転戦した。