衣通姫 (Sotoorihime)
衣通姫(そとおりひめ、そとおし-)は、記紀に絶世の美女と伝承される人物。
衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王。
大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がある。
本朝三美人の一人とも称される。
記紀の間で衣通姫の設定が異なる。
『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である木梨軽皇子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。
それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予国へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。
『日本書紀』においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。
近江国坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだ。
しかし、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。
皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという。
紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。
現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊(わかひるめのみこと)、神功皇后と共に合祀されている。