かご坂皇子 (Imperial Prince Kagosaka (Kagosaka no Miko))
麛坂皇子(かごさかのみこ、? - 神功元年(201年)2月 (旧暦))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる古墳時代の皇族(王族)。
香坂王、麛坂王とも。
仲哀天皇の皇子で、母は彦人大兄(景行天皇の皇子)の女・大中姫。
応神天皇の異母兄に当たる。
『古事記』『日本書紀』によれば、新羅征討中に仲哀天皇が崩御し、神功皇后は応神天皇(後の応神天皇)を産んだ。
このことを知った麛坂皇子は次の皇位が幼い皇子に決まることを恐れた。
その為、同母弟の忍熊皇子と共謀し、筑紫国から帰京する皇后らを迎撃しようとした。
皇子は播磨国の赤石に陵を築くと偽って陣地を構築し、倉見別(犬上君の祖)・五十狭茅宿禰(いさちのすくね、吉師の祖)に兵を興させた。
しかし、菟餓野(とがの、大阪市北区 (大阪市)兎我野町か)で反乱の成否を占う祈狩(うけいがり)の最中、イノシシに食い殺されたという。