伏見宮貞教親王 (Imperial Prince Fushiminomiya Sadanori)
伏見宮貞教親王(ふしみのみや さだのりしんのう、天保7年9月17日 (旧暦)(1836年10月26日) - 文久2年10月25日 (旧暦)(1862年12月16日))は、江戸時代末期の皇族。
伏見宮第21代。
伏見宮邦家親王の第6王子。
母は鷹司政熙の女鷹司景子。
幼称は、睦宮(よりのみや)。
天保13年(1842年)父宮邦家親王の隠居に伴い、7歳で伏見宮家を継承する。
弘化4年(1847年)仁孝天皇の猶子となり、翌嘉永元年(1848年)3月親王宣下を蒙り、貞教と命名される。
元服し、兵部省卿に任ぜられる。
同年5月三品に叙せられ、文久2年(1862年)10月19日二品に叙せられるが、同月25日(実際には14日)薨去。
享年27。
法名、真実相院。